(大賞・文部科学大臣賞) 今野寿美 先生 (選評)
問いの片歌 一 色あせた麦藁帽子が知っているのは 今野寿美 先生
飛べないと分かっていても見続けた空 宍戸あけみ 35歳 女性
他者に訴えようのない気持ちを抱いているとき、なぜか黙って空を見上げることは多いものです。それだけ心の内には進展も結論もないまま滞る思いが広がっていることになります。そんな心の状態を「飛べないと分かっていても」と釈明に近いフレーズで匂わせ、機転の利いた作品となりました。無意味であることはじゅうぶん承知なのですが、だからこそ抜けるように何もない空に委ねたくもなるのですね。単なる諦めと違って、「見続け」る姿には、若さに裏打ちされた一縷の希望のニュアンスが感じられます。それも爽やかな印象でした。
(山梨県知事賞) もりまりこ 先生 (選評)
問いの片歌 四 ハモニカがひかりのおんぷならしているよ もりまりこ 先生
木造の校舎で聴いた虹の音階 松本一美 65歳 男性
遠い昔に通った木造の校舎でのとある一ページを思わせる作品です。ハモニカが奏でる音のつらなりが、ふと虹の音階のようにみえてくるまでの時間が表現されています。まだ見ぬ未来を思って夢を思い描いたり、あやふやな不安を感じたり。そのこころの動きが階段を上り下りするように揺れながら、やがては希望を託した虹の音階へとつながってゆく。
こころの靄が晴れた時にふと耳に聞こえてきた、虹の音階。虹の五線紙の上におんぷを並べてみれば。音が耳をかすめてくる一瞬が聴覚にも視覚にも鮮やかに、奏でられているようです。
(山梨県教育委員会教育長賞) 廣瀬直人先生 (選評)
問いの片歌 三 集まって話したくなることのいくつか 廣瀬直人 先生
失敗とほんの少しの今日の幸せ 石川明 15歳 女性 伊達市立伊達中学校
ひとりで自分の胸の内に置いておかずに親しい友人の何人かと話したくなることが私たちの日常には絶えることがありません。そんな失敗をお互いに話し合ってみるのもまた大切なことだろうと思っています。この答えの歌、失敗と思っていたことが、かえってその日の幸せにつながったと詠っています。「ほんの少しの」という表現に作者の人柄が見えてきます。
(甲府市長賞) 三枝昂之 先生 (選評)
問いの片歌 二 ケータイをやはり持とうか子に問いかける 三枝昂之 先生
よそはよそうちはうちって言ってたくせに 仲川暁実 14歳 女性 さいたま市立浦和中学校
まず仲川さんが「もう誰々さんも持っているし、私もケータイ持ちたい」とせがみ、両親が「よそはよそ、ウチにはウチの方針がある」と許可しなかった。そんな数年前があったことを想像させます。ときは移り、いまや母も持ちたくて落ち着かない。ケータイが恐ろしい勢いで普及していったとき、日本中の家庭でたぶんこの問答に近いやりとりがあったはずです。つまり次々と新しい機器が生まれる時代の中の、世代間ギャップといったものへこの問答は広がります。進化のスピードに戸惑っている親の世代の暮らしぶりが見えてきて楽しい。
(アルテア賞最優秀・山梨県教育委員会教育委員長賞) 今野寿美 先生 (選評)
問いの片歌 四 ハモニカがひかりのおんぷならしているよ もりまりこ 先生
眠たげなクジラの背中すべり落ちてく 梶山未来 18歳 女性 茨城県立水戸第二高等学校
音をひびかせながら、その音をイメージによって広げる片歌です。答えの片歌として巨大なクジラの背中を想定し、きらきらした動きを捉える視点でまとめたところが何よりの魅力と思いました。さらに「眠たげな」という形容の一語。これは巨大なクジラの緩慢な動きを言い換えたのでしょう。横浜港には「くじらのせなか」と呼ばれる大桟橋があります。靴音のひびくデッキは、くじらの背中のうねりを模したかに見える巧みな造りで、ちょっと楽しい散策ができます。あの背中をすべり落ちる光の音符。さすがに若々しい発想ですね。すばらしい。
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