第十三回酒折連歌賞 総評


問いの片歌 一 色あせた麦藁帽子が知っているのは  今野寿美 先生


 めまぐるしいほど新しい物に取って代わる今の時代ですが、夏の陽射しと麦藁帽子の相性の良さは、そう簡単に忘れられそうにありません。庭先でも家庭菜園でも、もちろん海辺や農場でも、日除けとしてこれ以上の優れものはない定番スタイルです。それだけに、愛用した麦藁帽子はすっかり色あせ、行動を共にして陽射しをさえぎってくれた時間の一部始終を全部知っていたような貫禄で目に映ります。
 ぎらぎら照りつける太陽と切り離せない記憶の断片は、少女期少年期の自分であっても、祖父や第三者の姿であっても、懐かしく愛おしいような心情を呼び起こすもので、作者が甦らせた場面から、その心がふっとこちらにも伝わるときの快さを味わいました。年齢を問わず誰もがかぶり、その記憶をもつ麦藁帽子ということでいえば、選句の過程でいささか基準となったのは、個性の度合いだったといえそうです。
 田んぼや畑を背景に、営みの尊さをにじませた句が数の上では一番多かったかもしれません。そんななかでも、稲穂にたえず声をかけるという心意気や、あぜ道をゆくおんぼろ自転車が添えられることで、作品はいきいきと際だちます。また、炎天下もじいっと発掘作業に余念のない考古学教授の姿を映し出した句は、材の取り方にも冴えがあり、見事なまとまりでした。さらに、太陽を擬人化した句は、近年の温暖化が、もしや地球を愛し過ぎているせいではないかという憶測すらまつわらせて大いに読み応えがありました。
 大賞に決まったのは、ごく内面的な吐露で結んだ句です。青春の思い返しと夏の太陽が、いかに密接であるかを思わせて興味深いものでした

 


問いの片歌 二 ケータイをやはり持とうか子に問いかける  三枝昂之 先生

 私の問いは「ケータイをやはり持とうか子に問いかける」でした。いまや幼い子供も人生のベテランも持っているケータイ。しかし持っていない、あるいは持たない人も少なくなく、その一人がケータイを自在に駆使するわが子に「持とうか」と問いかけたとしたらどんな反応が返ってくるか、さまざまな反応を競って欲しいというのが問いの狙いでした。
 答のパターンは大きく二つでした。一つは「君だけの応援団に母はなりたし」と持ちたい理由を問いかけた親が追加説明するパターンです。「天国の妻にみせたい虹の出た日は」「本当の夕焼空を添付するから」など、なかなか人生的な味わいを持った答が多いのがこのパターンの特徴でした。
 もう一つは問われた子供の立場からの反応です。これは千差万別、辛辣な反応もあれば無関心に近い反応もあり、かなり楽しめました。甲府市長賞に輝いた仲川暁美さんの「よそはよそうちはうちって言ってたくせに」はケータイに対する初期の拒否反応を思い出させて、実は私もそうだったと苦笑したくなる答です。つまりどこの家庭にもあった風景が的確に浮かび上がって、だから酒折連歌の問答は楽しい、と改めて感じさせてくれました。「持ってても携帯しなきゃ据え置き電話」と厳しいプランもありましたが、実はケータイを持ち始めた私が息子や連れ合いから受けた苦言と同じ。ケータイは人生のベテランの活動範囲を広げるのに役立つすぐれものでもあり、父親世代がんばれ、とエールを送りたくなります。
 次回もさまざまな楽しい答を期待しています。

 


問いの片歌 三 集まって話したくなることのいくつか  廣瀬直人 先生

 今年度の私の出題は場面も内容もあまり考えずに答えがすらっと出て来そうなものをと思って出してみました。問いによっては日常の経験から離れてしまいそうな一面もありますから出来るだけそれを避けるようにと思ったのですがかえって焦点の絞り方に苦労があったようです。
 今の時代は子供も大人も自分一人の世界に入ってしまいがちです。親しい者たちが集まってお互いに胸の内にあることを話題にしてそれぞれの考え方を出し合っていると思いがけず自分にはなかったものとの出会いが生まれて勉強になります。
 さて、今年度の作、十三回を重ねてきますと、作り馴れ読み馴れてきたということもあって全体としては相当に充実の内容であったと感じています。連歌の魅力は問いの歌に対する答えがどういう場面に転化し変化していくかに期待がかかります。たとえば、私の問いかけに応えた「失敗とほんの少しの今日の幸せ」とか、「掘り起こす採石場の化石のように」などの答えには予想もしなかった思いがけなさ、つまり単に意表をついたもの珍しさだけではない気持ちの深さや感覚の働きに思わず惹かれます。成功の要因は日常のどんな出来事にも感動する気持ちを持ちつづけることではないかと思っています。


問いの片歌 四 ハモニカがひかりのおんぷならしているよ  もりまりこ 先生

いつだったか、ある音楽家のインタビュー記事を読んでいた時、音を聞いていると赤や紫や白といった色がみえるんですよって、おっしゃっているのを聞いた事があります。
 それは特殊な能力のひとつだと思うのですが、視覚と聴覚の関係にとても興味をひかれて、ずっと気になっていました。
 今回の問いの片歌は、耳できこえるハモニカの音が、もしひかりのように視覚にうったえるとしたらといった、すこしアングルを変えた設定を試みてみました。
「好きという呼吸が空の青にむかって」という答えには、誰か相手に放ちたい思いを言葉ではなく、呼吸という一瞬にして消えてしまいそうな輪郭のふたしかな形に置き換えた表現が、空の青に映えて爽快です。
「紡ぐ音脈打つ鼓動この星の歌」こちらは15歳の高校生の作品ですが、ひかりのおんぷが一音ずつ紡がれて、鼓動をゆさぶりながら、じぶんの内側だけで着地するのではなく、地球をうたうようなダイナミックな表現へと昇華しています。片歌の十九音のちいさな入り口が、おもいがけない場所へと読む人を誘ってくれています。
 そしてアルテア賞では、「へいの裏すきとおる音凍るばかりに」という小学生のすばらしい作品にであうことができました。音の持っている透明感のその先を凍るばかりにと描く頼もしい想像力に圧倒されました。回を重ねて、酒折連歌に綴られる無限の歌の世界をひしひしと感じています。来年も、ぜひ新鮮な驚きに満ちた多くの方々からの作品を心より期待しています。

 

 
第十三回酒折連歌賞 選評


(大賞・文部科学大臣賞) 今野寿美 先生 (選評)

問いの片歌 一 色あせた麦藁帽子が知っているのは  今野寿美 先生

飛べないと分かっていても見続けた空 宍戸あけみ 35歳 女性

 他者に訴えようのない気持ちを抱いているとき、なぜか黙って空を見上げることは多いものです。それだけ心の内には進展も結論もないまま滞る思いが広がっていることになります。そんな心の状態を「飛べないと分かっていても」と釈明に近いフレーズで匂わせ、機転の利いた作品となりました。無意味であることはじゅうぶん承知なのですが、だからこそ抜けるように何もない空に委ねたくもなるのですね。単なる諦めと違って、「見続け」る姿には、若さに裏打ちされた一縷の希望のニュアンスが感じられます。それも爽やかな印象でした。


(山梨県知事賞) もりまりこ 先生 (選評)

問いの片歌 四 ハモニカがひかりのおんぷならしているよ  もりまりこ 先生

木造の校舎で聴いた虹の音階 松本一美 65歳 男性

 遠い昔に通った木造の校舎でのとある一ページを思わせる作品です。ハモニカが奏でる音のつらなりが、ふと虹の音階のようにみえてくるまでの時間が表現されています。まだ見ぬ未来を思って夢を思い描いたり、あやふやな不安を感じたり。そのこころの動きが階段を上り下りするように揺れながら、やがては希望を託した虹の音階へとつながってゆく。
 こころの靄が晴れた時にふと耳に聞こえてきた、虹の音階。虹の五線紙の上におんぷを並べてみれば。音が耳をかすめてくる一瞬が聴覚にも視覚にも鮮やかに、奏でられているようです。


(山梨県教育委員会教育長賞) 廣瀬直人先生 (選評)

問いの片歌 三 集まって話したくなることのいくつか  廣瀬直人 先生

失敗とほんの少しの今日の幸せ  石川明 15歳 女性 伊達市立伊達中学校

 ひとりで自分の胸の内に置いておかずに親しい友人の何人かと話したくなることが私たちの日常には絶えることがありません。そんな失敗をお互いに話し合ってみるのもまた大切なことだろうと思っています。この答えの歌、失敗と思っていたことが、かえってその日の幸せにつながったと詠っています。「ほんの少しの」という表現に作者の人柄が見えてきます。


(甲府市長賞) 三枝昂之 先生 (選評)

問いの片歌 二 ケータイをやはり持とうか子に問いかける  三枝昂之 先生

よそはよそうちはうちって言ってたくせに  仲川暁実 14歳 女性 さいたま市立浦和中学校

 まず仲川さんが「もう誰々さんも持っているし、私もケータイ持ちたい」とせがみ、両親が「よそはよそ、ウチにはウチの方針がある」と許可しなかった。そんな数年前があったことを想像させます。ときは移り、いまや母も持ちたくて落ち着かない。ケータイが恐ろしい勢いで普及していったとき、日本中の家庭でたぶんこの問答に近いやりとりがあったはずです。つまり次々と新しい機器が生まれる時代の中の、世代間ギャップといったものへこの問答は広がります。進化のスピードに戸惑っている親の世代の暮らしぶりが見えてきて楽しい。


(アルテア賞最優秀・山梨県教育委員会教育委員長賞) 今野寿美 先生 (選評)

問いの片歌 四 ハモニカがひかりのおんぷならしているよ  もりまりこ 先生

眠たげなクジラの背中すべり落ちてく  梶山未来 18歳 女性 茨城県立水戸第二高等学校

 音をひびかせながら、その音をイメージによって広げる片歌です。答えの片歌として巨大なクジラの背中を想定し、きらきらした動きを捉える視点でまとめたところが何よりの魅力と思いました。さらに「眠たげな」という形容の一語。これは巨大なクジラの緩慢な動きを言い換えたのでしょう。横浜港には「くじらのせなか」と呼ばれる大桟橋があります。靴音のひびくデッキは、くじらの背中のうねりを模したかに見える巧みな造りで、ちょっと楽しい散策ができます。あの背中をすべり落ちる光の音符。さすがに若々しい発想ですね。すばらしい。

 



 
     
 

 

| 100選TOP | 各種統計 | 過去の応募統計 |

 
 

 

 
 
all image and content are copyright Sakaori Renga Awards,all rights reserved. No reproduction without permission.