第十四回酒折連歌賞 総評


問いの片歌 一 いっぴきの蟻がちくたく木の葉を運ぶ 
 

もりまりこ 先生

〈植物たちは、昨日と何一つ変わっていないようで日々同じじゃないのですよ。目を見張るような変化に満ちています。〉
 きのうと変わらない今日のようにみえて、ほんとうは目に見えないほどちいさな変化がそこでは起きているのかもしれない。こんな言葉に引き寄せられて、今回の片歌は蟻を主役に投げかけてみました。
 寄せられた答えの中にはいくつかの、視点をみつけることができました。ひとつは蟻を俯瞰した視線で追っているものでしたが、断然多かった傾向としては、蟻そのものに自分を託した作品でした。この蟻の視点も様々で、たとえば、「生きてきた一人称の下駄の音して」など、独立独歩の姿を蟻にそっと重ねた作品は、眼差しの強さまでがこちらに伝わってくるようです。「僕もまた銀河のなかのいっぴきとなる」という八十代の男性の作品からは、ひとりではなくいっぴきであると放つことのできるその潔さが読む人の心にまで突き刺さってくる力強さを感じました。大賞に選ばれた「ファーブルを夢見たころの時間のながさ」には、ここに流れている時間と読む人の心の中の時間が重なってくるようです。酒折連歌には、日常のなにかが開いてゆく瞬間に立ち会っている気がする時があります。
 小さな気づきから始まる時間の旅を十九文字に込めた作品に、次回も期待しています。


問いの片歌 二 山好きも海好きもいてこの島が好き  

出題  廣瀬直人 先生
選考・総評 宇多喜代子 先生

 「問い」があって「答え」があるということは、人間が二人いるということです。その二人が向かい合い言葉をもって問答をする、対話するというすばらしい言葉の共演であり饗宴です。
 いまの日常生活は、人と対面して話すということをしなくても事足るような事態があたりまえになっています。「問い」も「答え」も無言のうちに終わってしまうという機械機器相手で暮らしてゆける暮らしが普通になりつつあり、人間が人間に問いかけ、それに答える、という言葉でつながる人間同士の関係が希薄になってきました。そんないま、言葉でもって「問い」に「答える」という答えの片歌のおもしろさに接し、やはり誰もが機械機器を相手にするだけでない気持ちを大事にしたいと思っているのだと感じました。
 それぞれに出された「問いの片歌」に対する多くの答えから、一つの言葉はあくまでそのことばの指示する意味を正確に示さなければならないということと同時に、本来の意味をゆたかな多義性にみちた方角に運ぶ楽しさのあることを再認識しました。たとえば、「島」という一字から、誰もいない絶海の孤島のイメージを孤立した自分に重ねて詠んだ方、また五大大陸はどれも地球の海に位置する島だと詠んだ方、ボーイフレンドの島クンが好きだと告白した方など、表現には灘はありましたものの、それなりに楽しく拝見しました。


問いの片歌 三 あの橋を自分一人でわたってみよう 

三枝昂之 先生

 橋といえば川があって、その両岸を繋ぐ風景がまずイメージされます。それをもう少し広げると、こちらの世界から向こうの世界へいざなうもの、といった感触が生まれます。その、未知の世界へ一歩踏み出す、しかも自分一人だけで踏み出すとしたら、あなたはどんな心の用意をしますか。そうした問いかけが今回の私の片歌になりました。
 なにか人生の大切な一歩を踏み出す緊張を含んでいる問いですから、「いやいや、別の機会にしよう」といった答えも少なくありませんでした。そうそう、「やはり友だちも連れて行こう」といった答えの片歌も多かったですよ。問いに正面から答えずにフェイントをかけるプランにする。これも一つの答え方ですから、もちろんそれも立派な問答です。しかし同じように魅力的だったとしたら、やはり「どんな心の用意をするか」といった問いの趣旨をよりよく生かした答えの方が選ばれやすい。入賞は逃しましたが、応募作品の中からそんな例を思い出してみると「この悩みこの苦しみを勇気に変えて」「亡き父がこの胸にいる今ならわかる」といった答えが私の印象に残っています。
 さまざまな年齢層が一つの問いへの答えを競い合うところに酒折連歌の楽しさがあります。来年も楽しみながら答えの片歌を寄せてください。


問いの片歌 四 人生は兎がいいか亀でよいのか 

今野寿美 先生

 五七七の問いに五七七で応える連歌のスタイルは独特です。俳句の五七五は短歌の上の句でもあり、多くの作者にとって親しい韻律ですが、五七七となれば、いま少し踏ん張らねばなりません。この二音の踏ん張りが意外にむずかしく、五七五で終わっている応募作が見受けられたりもします。とはいえ、応募作全体がだんだん五七七の韻律になじみ、巧みさが増してきているように感じました。
 今回、わたしの用意した片歌は「人生は兎がいいか亀でよいのか」というものでした。兎と亀といえば、奢りを戒めるとか油断禁物とか地道な努力の勝利などなど、少々けむたい人生訓が透けて見えるかもしれませんが、自分の志のありようをちょっと考えてみませんか、というくらいのつもりでした。
 問いへの反応がストレートに過ぎると、もうそこで止まってしまい、面白みにも欠けてしまいます。黒坂明菜さんの「どちらでも良いじゃないかと鶴の一声」は、直截的な反応を見せながらも鶴まで登場させてぴしゃりと決めたところが爽快です。
 野村信廣さんの「ブータンは兎と亀が楽しく暮らす」が引き出したのは、国王夫妻の来日で評判を呼んだ国の、経済的豊かさとは別の幸福度。話題の転じ方が冴えています。
 平間由紀子さんの「教えてよ天国にいるロンサムジョージ」は、推定約百歳で大往生のガラパゴスゾウガメに応援要請。楽しませる展開でした。みなさん、なかなかに達者です。

 

 
第十四回酒折連歌賞 選評


(大賞・文部科学大臣賞) もりまりこ 先生 (選評)

問いの片歌 一 いっぴきの蟻がちくたく木の葉を運ぶ  もりまりこ 先生

ファーブルを夢見たころの時間のながさ  水谷あづさ 四十五歳 女性

 時間のすきまに入り込んでしまったかのように思える時が、日々の中でふと訪れることがあります。いつもは気にかけていなかったのに、思いがけない一瞬を垣間みて、自分の過去を振り返りたくなる、誰にも訪れるそんな時間がこの作品の中には内包されているようです。木の葉を運んでいる蟻の姿を見ている現在から、見ている大人の作者が、蟻の視点を経て、たちまち地面すれすれにしゃがんでいる子供時代にもどってしまったかのような振幅のある世界観です。蟻と子供と大人が巡る片歌の環の中で、遥かな時間が隣り合うように描かれています。


(山梨県知事賞) 宇多喜代子 先生 (選評)

問いの片歌 二 山好きも海好きもいてこの島が好き  廣瀬直人 先生

国境はとうに消えてる私のなかで  坂内敦子 七十六歳 女性

 今回の問いの片歌は、廣瀬直人先生出題の「好き」が三つ入った楽しくてリズミカルな歌でした。廣瀬先生の意図は「この島」に住んでいる多くの人は、それぞれに異なった意見や好みを持っているけれど、みなこの「この島」が好きなのだというところにあったと思います。「この島」がどこだという限定はないのですが、海山に恵まれた日本という島国でもいい。坂内さんの歌は、いつの世にもかまびすしい国境云々とはうらはらに、超越した気持ちをサラリと表現した大きな作品です。自分にとって大事なのは国境よりは人間なんだ、という気持ちの出たいい「答え」でした。

 


(山梨県教育委員会教育長賞) 三枝昂之 先生 (選評)

問いの片歌 三  あの橋を自分一人でわたってみよう  三枝昂之 先生

好奇心以外はすべてここに残して  永松果林 十六歳 女性 山梨県立甲府南高等学校

 未知の世界へ歩み出すときの緊張と決心の強さをどう詠うか。いろいろ魅力的なプランが寄せられました。新しいバレーシューズに自分の決意を託したプラン、人生の旅には地図も時刻表もないという形で覚悟の程を吐露したプラン。そうした中で永松さんの答えの片歌には一歩踏み出す気持ちがもっとも強く、かつ、あざやかに示されています。好奇心以外のものはここに残す。そこには、何も持たずに、素手で、白紙の状態で、というニュアンスが含まれています。未知との遭遇への静かな心躍りを示したその答えが見事です。そこを評価しました。魅力的な問答になったことがうれしいですね。

 


(甲府市長賞) 今野寿美 先生 (選評)

問いの片歌 四 人生は兎がいいか亀でよいのか  今野寿美 先生

陽だまりのベンチで語る米寿と白寿  朝山ひでこ 五十六歳 女性
 
 問いの片歌から、じっくり地道がよい、といったゆとり志向が浮かぶのも自然なことと思います。朝山ひでこさんは、その印象を長寿の二人の安らぐ姿に移し替えたということでしょう。いかにも暖かい陽だまりのなか、ベンチにくつろぐ八十八歳と九十九歳は、夫婦であってもいいし、なくてもいい。超高齢化社会といわれ、老老介護などという非情な現実も知られるところですが、この場面にはそんな重苦しさがありません。人生やはり、こうでなくちゃというほのぼの感が、読み手にも安らぎとなって広がります。「米寿」「白寿」も効果的でした。

 


(アルテア賞最優秀・山梨県教育委員会教育委員長賞)  今野寿美 先生 (選評)

問いの片歌 一 いっぴきの蟻がちくたく木の葉を運ぶ  もりまりこ 先生

俺にくれわき目もふらないその一途さを  渡辺雄大 十七歳 男性 早稲田大学高等学院

問いの片歌の健気な懸命さに大いに共感しているのですが、まるでドラマの中のせりふのように、ざっくばらんな男っぽさでキメたところが表現として引き立っていました。気の利いた構造で、五七七の五と七七が倒置になっています。それだけ最初の五音の押し出しが強く、共感の度合いが印象づけられる効果が感じられました。「俺にくれ」と、いかにも男子高校生の単刀直入。それでいて、何が欲しいかといえば「わき目もふらないその一途さ」というのですから、きっと内面はごくナイーブなのですね。アルテア賞にふさわしい句と思いました。



アルテア賞 総評  今野寿美 先生

 若い世代の作品は、自由闊達な発想と気負いのない表現が何よりのおもしろさです。
 三原百合奈さんの「探そうか昔なくした麦わら帽子」には夏の記憶への愛惜がまつわり、若々しい抒情が感じられました。また、永松果林さんの「夕焼けが僕の心を駆り立てるから」は、自制しがたい衝動を大いに肯定して前へ進もうとする意欲が個性的にまとめられていて、その点で評価が一致しました。
 猪股美沙さんの「百年の想いをのせた追憶の風」は、スケール大きく心の奥を覗くような印象。一方、雑賀彰さんの「人生は速さではなく深さであるべし」は、明確な意志と、それをはっきり言ってのける気概がこもり、頼もしい作品になっています。
 和光杏奈さんの「本当の答えは人の数だけあるよ」は率直な発想が可憐です。個々の意識を尊重する思いが源になっていますから、それだけ説得力にも富むといえるでしょう。
 中村みゆきさんの「私なら足は兎で心は亀で」は、行動のスピード感を大切にしながら、心のゆとりは持ちつづけたいと、なかなかさばけています。若尾祥瑚さんの「迷ったら心の声に耳をすまして」、遠藤貴広さんの「葉の裏に目には見えない思いが募る」は、ともに繊細ですが、よく考えたのちの思いの静かな表明といえそうです。
 安藤美紀さんの「思い出も作った傷も全てこの島」は、大震災の痛みを慰めるように述べたのでしょうか。誠実な印象でした。



 
     
 

 

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