一般部門 大賞・文部科学大臣賞 井上康明 先生 (選評)
問いの片歌四 ありがとうたったひとことメールの返信
答えの片歌 四年目の最後の学費振り込みしのち 佐藤せつ 千葉県
答えの片歌は、現代に生きる母と子の切実な一場面を坦々と描きます。作者は六十代の女性、かつての経験を語っているのでしょう。懸命に働いた糧を子の学資として送金し、ついに大学を卒業させる日が来たのです。最後の学資を送ったのち、母に返ってきた「ありがとう」のひと言。それが携帯電話のメールによって送られてきたところに現代の生活のひとこまが、せつなく描かれています。「ありがとう」のひと言には母に対する深い感謝の思いが込められています。大学生の貧困が報ぜられる昨今、かけがえのない親子の絆を思わせる答えの片歌です。
一般部門 山梨県知事賞 宇多喜代子 先生 (選評)
問いの片歌一 猫がきておいてけぼりの時をうずめる
答えの片歌 小春日の縁側という細長宇宙 小林美成子 静岡県
この片歌の手柄は、縁側を「細長宇宙」と表現したことです。縁側という場所は、屋外と屋内を繋ぐ不思議な空間です。日々の寝起きや食事や団欒などの役には立ちませんが、ときに応接間になったり寛ぐところになったり多目的に機能します。日本人の自然観を育む場でもありました。まさに「細長宇宙」です。
現今の建築からは見られなくなりましたが、この細長い縁側の魅力を忘れたくないものです。
一般部門 山梨県教育委員会教育長賞 今野寿美 先生(選評)
問いの片歌二 聴いてみよう姿勢正して三月の雨
答えの片歌 アドリブがきかぬ素数の私のままで 小金奈緒美 埼玉県
雨の音に耳を傾けるというだけで内省の趣が漂います。それは、一生に一度というような態勢や状況であるはずがなく、語り手の心がたえず内側に向きがちであることを示してもいるでしょう。小金さんのいう「アドリブがきかぬ」という思い返しも、素直にそこに重なりますね。咄嗟に気の利いた反応をするのが苦手という沈思黙考型の人柄は、けして引け目に思う必要などないはずですが、そこに加えて「素数」である自身を長く見守ろうとしています。割り切れない性分ですが…、という感じ。辛めの自己評定といささかの矜持が快い句と思いました。
一般部門 甲府市長賞 三枝エ之 先生(選評)
問いの片歌五 駅に立つ心の声を確かめながら
答えの片歌 この位置で同じ車両に乗るきみを待つ 高幣美佐子 東京都
問いは駅のホーム、答えはいつもの時間のいつもの車輌と思わせますから、毎日の登校時あるいは通勤時の場面でしょうか。いつもの朝なのに心の中で自問している。そこに君への思いを確かめている「私」がいます。そこから見えてくるのは、日常が一歩非日常に変化しようとしているドラマ。
多くの人が自分のある日の朝、ある日の駅を重ねながら楽しく、また、懐かしく読む。そこがこの答えのいいところです。展開がとても自然な問答、オーソドックスのよさ、と評価しておきましょう。
アルテア部門 大賞・文部科学大臣賞 もりまりこ先生(選評)
問いの片歌四 ありがとうたったひとことメールの返信
答えの片歌 舞い上がるささいなことで人って不思議ね 池田彩乃 中華人民共和国
ありふれた日常として埋もれてしまいそうな場所に、光を注いだまっすぐな問いかけに、すこしアングルをずらして答えているところに、ユーモアを感じます。
ほんとうにほしかったのは、抱えきれないほどの言葉じゃなくて、「たったひとこと」だったかもしれない。そんなことに気づいたせつな、わけもなくうれしくなったはずなのに、思いがけず驚いたことを打ち消すように、第三者の視点で心を静めている。隠したはずの思いが、倒置法の跳ねるようなリズムで表現されることでその喜びまでもが、ささやかに伝わってくるようです。
アルテア部門 辻村深月 先生(総評)
今回の五つの問いの片歌はどれも、ひとり静かな時間の中で自分の心にひっそりと向き合い次の一歩を考えるような、そんな共通点があると思いました。歌を詠むのは、そういう豊かな時間を持つことそのものなのかもしれません。
大賞の「ありがとうたったひとことメールの返信」に答えた「舞い上がるささいなことで人って不思議ね」は、見た瞬間に笑顔がこぼれるような素敵なリズムに満ちた歌です。「ささいなこと」に「舞い上がってるなぁ」と思っても、その一言が本当に嬉しくって嬉しくって──という感覚に覚えがある人は多いはず。軽やかに喜びを肯定する素直さとかわいらしさに、私まで幸せな気持ちになりました。
もうひとつ、私が心惹かれたのは、「満ちていく月のかたちに寄せる想いは」に答えた「戦場で平和を待ってる小さな瞳」。人の存在を超えた大きな月の満ち欠けから地上に視線を落とし、切実に人の幸せを願い、争いを嘆く心の声が伝わってきました。戦争や災害、悲しさや怒りを伴う出来事も多いこの数年、柔らかな心がまっすぐに、そしてまっとうに反応し、小さな瞳の輝きと月を重ねて平和を願う心に胸打たれました。この歌はインドネシアの日本人学校に通う入江寧琉さんのものです。
選考の最中、今年は日本以外にも、インドネシアやアメリカ、大賞を受賞した池田彩乃さんは中国の上海と、海外からの応募もとても多かったことに気が付きました。どなたの歌がどこから、という点はほとんど見ないまま選考にあたったのですが、後から確認して皆さんそれぞれが歌を詠んだ環境について思いを馳せました。
上海で勉強しながらもらった誰かからのメールの「ありがとう」に舞い上がる喜びや、ジャカルタから月に託す平和の重み。
他にも、「三月の雨」に答えたインドネシアの宇都宮早帆さんの「きこえるよ桜の花と手をつなぐ音」は、どこで見たいつの桜を詠ったものなのか、と歌の向こうにさらなる奥行きが広がっていくようで、応募者皆さんがそれぞれに過ごす「今」のきらめきが伝わってきます。もちろん、日本の皆さんが過ごす「今」を詠んだ歌もどれも魅力的で、充実した選考会でした。
来年も、たくさんの感性と心の声に出会えることを楽しみにしています。 |