第十八回酒折連歌賞 総評


問いの片歌一 猫がきておいてけぼりの時をうずめる  宇多喜代子 先生

 今回も多くの応募があり、そのすべてに目を通しつつ、嬉しい悲鳴をあげました。問いの片歌の一〜五までに、偏ることなく答えの片歌が集まり、変化に富んだ応答に感心させられました。
 そんな中で「オッ」と目のとまる答えの片歌は、やはり問いの片歌を十分に理解していることのわかる答えです。それも数学で出る正解のようなはっきりしたものではなく、どこかに正解を匂わせながら問いを受けてゆくという、なかなかむつかしい文芸の方法をものにしてゆく工夫や努力が必要となります。
 たとえば、大賞に決まりました問いの片歌四の「ありがとうたったひとことメールの返信」に対する「四年目の最後の学費振り込みしのち」のこの応答の経緯を、もし散文で説明をすれば長い文章となります。そこをたった「五七七・五七七」の言葉で間に合わせるのですから、この酒折連歌ならではの形式文芸とは凄い力を持ったものです。常々、短歌や俳句になじみのある方もあれば、教室で先生に言われて戸惑いながら提出した方もおありでしょう。そのきっかけは何であれ、このことが多くの方々の活力の一端になるのであれば、結果の如何にかかわらず皆さまの応募は日本文化の豊穣につながる、そう思いました。


問いの片歌二 聴いてみよう姿勢正して三月の雨  今野寿美 先生

 ネット社会の現象は、短歌や俳句の作品にも如実に広がっています。調べたいことはすべてポケットのスマホ頼り。連絡、交流はもちろんメールで。家族間のやりとりさえメールという現実も当たり前。スマホはおろかガラケーすら持たないわたしですが、パソコン上でのネット検索やメール交信は日常のことです。たしかに、もうこれなくして表現活動も成り立たない様相ではあります。
 そのメールにまつわる心理の交錯を考えさせるのが、今回の片歌「ありがとうたったひとことメールの返信」でした。寄せられた答えの片歌は、内容的に二つに分かれ、一方はひと言であることから失望し、一方はひと言でも返ってきたことを喜びとするものでした。この反応はどちらも現実的で、デリケートな心をごく簡素に引き出し、さまざまな場面となって作品化されていました。佐藤せつさんの「四年目の最後の学費振り込みしのち」はこども世代のありようを象徴し、昔ながらの親心を巧みに突いています。金子歩美さんの「ガラケーの定型文の三十番目」、坂内敦子さんの「あゝこれはテラノサウルスからかもしれぬ」も傑作でした。
 「聴いてみよう姿勢正して三月の雨」にこめたのは、春らしい柔らかな感触の雨音に、静かに耳を傾けるときの心の平穏を尊いと思う、そんな気持ちでした。三月ということから卒業すなわち人生の節目や友との別れに結ぶ答えが多かったようです。それも青春の感慨につながることで、納得のゆく広がりでした。内田誠さんの「それよりもいつごろ石に穴があくのか」、山縣俊夫さんの「雨の音を聴いて作曲する人もいる」など、たいへんおもしろく思いました。ショパンの「雨だれ」、あの曲がいざなう心こそ、という印象です。
 あと「猫がきておいてけぼりの時をうずめる」の答えとして橋本邦子さんの「私にも前はいたのよ寄り添う人が」の抜群の冴え。すばらしいと思いました。


問いの片歌三 満ちてゆく月のかたちに寄せる想いは  もりまりこ 先生

 遠くに見えるまあるいひかり。どれぐらい窓から手を伸ばせば、届くのかなって思った幼い頃や、ひとりぼっちの夜の帰り道、月を追いかけたあの日など。いつかどこかでだれかのこころの中にそっと寄り添ってきた不思議な天体、月はあらゆる場面を彩ってきました。
たとえば中原中也の『月夜の浜辺』や萩原朔太郎の『月光の海月』などの文学作品をはじめ、世界の神話として語り継がれ、また「祈り」の対象としても、大切な存在だったようです。手の届かないものへ思いを馳せるとき、人はいろいろな想像力の翼を手に入れるものなのかもしれません。
今回の片歌はそんな誰にでも馴染みのある「月」の満ち欠けをテーマにしてみました。 
アルテア部門佳作受賞作品、ジャカルタの坂口遼さんの「この夜空遠くの君は何を願うか」は、遠くの月を見上げている自分に視線を注ぐのではなく、遠くに暮らす誰かの願いに思いを馳せているその眼差しに惹かれました。同じく佳作受賞作品、藤原竜希さんの「ゆれているぼくの心が炎のようだ」は、月に揺さぶれる気持ちが、満ちてゆく月の如く自分の内なる情熱へと姿を変えてゆく。そんなひたむきな心が描かれています。
酒折連歌は「言葉を連ね、心を繋ぐ」ことですと教えて頂いたことがあります。その思いがまさにここに体現されているような作品に出会えましたこと、ほんとうにうれしく思います。


問いの片歌四 ありがとうたったひとことメールの返信  井上康明 先生

酒折連歌の応答は、酒折連歌だけの形式です。ヤマトタケルノミコトと御火焼の翁との問答歌にならい、問いに答えて、全国の、或いは世界中のひとびとが歌って返すという問答の形式には、対話のコミュニケーションがあり、人と人が触れ合うぬくもりがあります。そのような応答に通ずる現代の形式は何だろうと考えて、携帯電話やスマートフォンのメールでの通信が思い浮かびました。友人などから送られてくる電子メールは、返信することが常識とされ、そのひと言にさまざまな感情が含まれます。たったひと言「ありがとう」と返信が来た時、その場面はさまざまに考えられるのではないか、そんなことを考えたのがきっかけです。
「四年目の最後の学費振り込みしのち」と答えた佐藤せつさんの答えには、現代を生きる母と子の姿が浮かびます。一方「ああこれはティラノサウルスからかもしれぬ」と答えた坂内敦子さんの答えは、約七千万年前、白亜紀の北米大陸の最強恐竜からの答えかもと、はるかな時空をさかのぼって想像の翼を広げます。恐竜は、人類に、進化を重ね命をつないだ生命体として呼びかけているのでしょう。飯室綾乃さんの「いくじなし白い画面にそっとつぶやく」須藤梨那さんの「そして消すたったひとつのアドレスを今」という十代の女性の作品は、恋愛の場面でこまやかにメールのことばが伝えられていることを語っています。ともに現代を反映し、今を生きる息遣いが聞こえてきます。


問いの片歌五 駅に立つ心の声を確かめながら  三枝エ之 先生

 私のこの問いの片歌、「駅に立つ」と自分がいる場所をまず示しています。そして、どんな気持ちでそこに立っているのか、「心の声を確かめながら」と自問しているわけです。「さてあなたは自問しながら何をしようとしているのですか」。これが問いの主題です。
 いろいろな答えがあって楽しくも悩ましい選考でした。
たとえば評価の高かった清水美希さんの答えの片歌「さようなら祖母と過ごした小さなおうち」は何かの事情で両親と故郷を離れる場面でしょうか。「小さなおうち」が万感こめた感傷性を生かしています。小倉楓子さんの答え「お守りはずしりと重い父のおにぎり」は新しい人生へ踏みだす一歩を思わせますが、母ではなく父の、それも大きなお握りというプランが父親ならではの励ましですね。曽我匡史さんの「義父となる人をただ待つ背広姿で」も興味深く読みました。結婚に漕ぎつける最後の難関は娘さんの父親からOKを貰えるかどうか。背広姿で待つところにその緊張がよく表れています。
 酒折連歌は言葉のゲームであり、人生の襞を映しだす鏡でもあります。さまざまな年齢層が一つの問いへの答えを競い合うところに酒折連歌ならではの楽しさがあります。来年も楽しみながら答えの片歌を寄せてください。

 
第十八回酒折連歌賞 選評


一般部門 大賞・文部科学大臣賞  井上康明 先生 (選評)
問いの片歌四 ありがとうたったひとことメールの返信
答えの片歌  四年目の最後の学費振り込みしのち  佐藤せつ 千葉県

 答えの片歌は、現代に生きる母と子の切実な一場面を坦々と描きます。作者は六十代の女性、かつての経験を語っているのでしょう。懸命に働いた糧を子の学資として送金し、ついに大学を卒業させる日が来たのです。最後の学資を送ったのち、母に返ってきた「ありがとう」のひと言。それが携帯電話のメールによって送られてきたところに現代の生活のひとこまが、せつなく描かれています。「ありがとう」のひと言には母に対する深い感謝の思いが込められています。大学生の貧困が報ぜられる昨今、かけがえのない親子の絆を思わせる答えの片歌です。



一般部門 山梨県知事賞  宇多喜代子 先生 (選評)
問いの片歌一 猫がきておいてけぼりの時をうずめる
答えの片歌  小春日の縁側という細長宇宙  小林美成子 静岡県

 この片歌の手柄は、縁側を「細長宇宙」と表現したことです。縁側という場所は、屋外と屋内を繋ぐ不思議な空間です。日々の寝起きや食事や団欒などの役には立ちませんが、ときに応接間になったり寛ぐところになったり多目的に機能します。日本人の自然観を育む場でもありました。まさに「細長宇宙」です。
 現今の建築からは見られなくなりましたが、この細長い縁側の魅力を忘れたくないものです。

 


一般部門 山梨県教育委員会教育長賞  今野寿美 先生(選評)
問いの片歌二 聴いてみよう姿勢正して三月の雨
答えの片歌  アドリブがきかぬ素数の私のままで  小金奈緒美 埼玉県

 雨の音に耳を傾けるというだけで内省の趣が漂います。それは、一生に一度というような態勢や状況であるはずがなく、語り手の心がたえず内側に向きがちであることを示してもいるでしょう。小金さんのいう「アドリブがきかぬ」という思い返しも、素直にそこに重なりますね。咄嗟に気の利いた反応をするのが苦手という沈思黙考型の人柄は、けして引け目に思う必要などないはずですが、そこに加えて「素数」である自身を長く見守ろうとしています。割り切れない性分ですが…、という感じ。辛めの自己評定といささかの矜持が快い句と思いました。

 


一般部門 甲府市長賞  三枝エ之 先生(選評)
問いの片歌五 駅に立つ心の声を確かめながら
答えの片歌  この位置で同じ車両に乗るきみを待つ  高幣美佐子 東京都

 問いは駅のホーム、答えはいつもの時間のいつもの車輌と思わせますから、毎日の登校時あるいは通勤時の場面でしょうか。いつもの朝なのに心の中で自問している。そこに君への思いを確かめている「私」がいます。そこから見えてくるのは、日常が一歩非日常に変化しようとしているドラマ。
 多くの人が自分のある日の朝、ある日の駅を重ねながら楽しく、また、懐かしく読む。そこがこの答えのいいところです。展開がとても自然な問答、オーソドックスのよさ、と評価しておきましょう。


アルテア部門 大賞・文部科学大臣賞  もりまりこ先生(選評)
問いの片歌四 ありがとうたったひとことメールの返信
答えの片歌  舞い上がるささいなことで人って不思議ね 池田彩乃 中華人民共和国

 ありふれた日常として埋もれてしまいそうな場所に、光を注いだまっすぐな問いかけに、すこしアングルをずらして答えているところに、ユーモアを感じます。
 ほんとうにほしかったのは、抱えきれないほどの言葉じゃなくて、「たったひとこと」だったかもしれない。そんなことに気づいたせつな、わけもなくうれしくなったはずなのに、思いがけず驚いたことを打ち消すように、第三者の視点で心を静めている。隠したはずの思いが、倒置法の跳ねるようなリズムで表現されることでその喜びまでもが、ささやかに伝わってくるようです。


アルテア部門 辻村深月 先生(総評)

 今回の五つの問いの片歌はどれも、ひとり静かな時間の中で自分の心にひっそりと向き合い次の一歩を考えるような、そんな共通点があると思いました。歌を詠むのは、そういう豊かな時間を持つことそのものなのかもしれません。
 大賞の「ありがとうたったひとことメールの返信」に答えた「舞い上がるささいなことで人って不思議ね」は、見た瞬間に笑顔がこぼれるような素敵なリズムに満ちた歌です。「ささいなこと」に「舞い上がってるなぁ」と思っても、その一言が本当に嬉しくって嬉しくって──という感覚に覚えがある人は多いはず。軽やかに喜びを肯定する素直さとかわいらしさに、私まで幸せな気持ちになりました。
もうひとつ、私が心惹かれたのは、「満ちていく月のかたちに寄せる想いは」に答えた「戦場で平和を待ってる小さな瞳」。人の存在を超えた大きな月の満ち欠けから地上に視線を落とし、切実に人の幸せを願い、争いを嘆く心の声が伝わってきました。戦争や災害、悲しさや怒りを伴う出来事も多いこの数年、柔らかな心がまっすぐに、そしてまっとうに反応し、小さな瞳の輝きと月を重ねて平和を願う心に胸打たれました。この歌はインドネシアの日本人学校に通う入江寧琉さんのものです。
 選考の最中、今年は日本以外にも、インドネシアやアメリカ、大賞を受賞した池田彩乃さんは中国の上海と、海外からの応募もとても多かったことに気が付きました。どなたの歌がどこから、という点はほとんど見ないまま選考にあたったのですが、後から確認して皆さんそれぞれが歌を詠んだ環境について思いを馳せました。
上海で勉強しながらもらった誰かからのメールの「ありがとう」に舞い上がる喜びや、ジャカルタから月に託す平和の重み。
 他にも、「三月の雨」に答えたインドネシアの宇都宮早帆さんの「きこえるよ桜の花と手をつなぐ音」は、どこで見たいつの桜を詠ったものなのか、と歌の向こうにさらなる奥行きが広がっていくようで、応募者皆さんがそれぞれに過ごす「今」のきらめきが伝わってきます。もちろん、日本の皆さんが過ごす「今」を詠んだ歌もどれも魅力的で、充実した選考会でした。
来年も、たくさんの感性と心の声に出会えることを楽しみにしています。



 
     
 

| 100選TOP | 各種統計 | 過去の応募統計 |

 
 
 
 
all image and content are copyright Sakaori Renga Awards,all rights reserved. No reproduction without permission.