問いの片歌一 靴ひもをきつく縛って歩きはじめる 井上康明 先生
酒折連歌という形式は世界でただひとつ。語りかける片歌と答える片歌とを別人が詠むところに独自性があります。これは、日本武尊と火焼の翁との問答が連歌の発祥となったように、日本の短詩形文学の根幹に根差しています。人と人が互いに心を寄せ言葉を交わしあうところに特徴があり、それが日本の短詩形の可能性を支えているのではないかと思います。
二十一回の今回の受賞作品は、時代の流れを映して人々の共感を誘います。
「小鳥用ひまわりの種にも賞味期限」という問いに対して関さんの「太陽に頭を垂れて謝罪会見」という答えの片歌は、現代がエコロジーの時代を迎えたことを思わせます。謝罪会見を巧みに使って、今という時代を軽やかにうたっています。
「AIもスマートフォンもとどかない」とうたった問いに対して藤中さんの「糸電話がある」と答えた答えは、電子機器に囲まれた現代を風刺しています。
「椅子一つに誰かの匂い」があるという問いに、村尾さんは、「じいちゃんはエッシャーの絵の中に入ったよ」と、オランダの現代画家、マウリッツ・エッシャーのだまし絵を詠んで、現代の複雑な社会と現代人の心情を思わせます。林本さんの「雄星も大谷もきっとそこが原点」という答え、メジャーリーグへ行った菊池雄星と大谷翔平がいる今だからこその表現でしょう。時代への眼が生きています。
問いの片歌二 えんぴつが線路をえがくどこか遠くへ もりまりこ 先生
ちいさな指が、えんぴつを握ったあの日。気が付くと、くっきりとした輪郭はないのに、こころのままに指を走らせて、なにかを描いていたような気がします。
今回は、そんな幼い頃の経験をぼんやりと思い出すようにして、片歌を投げかけてみました。圧倒的多数だったのは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」からのアイデアでした。とりわけ年月を重ねられた大人の方々の作品は、片歌の中の「線路」にフォーカスしているものがよく見受けられました。今まで過ごしてきた時間を「線路」に、そしてジョバンニやカムパネルラになぞらえて。
一方、若い作者の作品は片歌の中の「えんぴつ」に着目している方が比較的多く、興味深かったです。学生生活の中で、いつもそばにある「えんぴつ」が、十九文字の器の中に描いていたのは、まだ見えない未来への進路の不安や希望でした。
とても印象的だった、高橋佑輔さんの「ぼくたちも人生えがくえんぴつなのだ」。人とえんぴつが対峙するのではなく、えんぴつと同化する身体感覚を携えた作品です。えんぴつを道具として捉えるのではなく、一体となっていのちそのものを表現しているところにアニミズムを感じます。また、小倉里桜さんの「ノートでは世界はいつでも一つになれた」は、えんぴつに注がれた眼差しが遥か遠くを見据えながら、いまの世界が何処に行こうとしているのか、そんな誰もが抱く揺らいだ気持ちが、存分に表現されていたように思います。
あまたのえんぴつが描いていたのは、お一人お一人の心の軌跡だったんだなと感じ入る作品に出逢えたことを、今、とてもうれしく思います。
問いの片歌三 椅子一つだれもいないのにだれかの匂い 宇多喜代子 先生
「五」と「七」のことばと「問いの片歌」と「答えの片歌」という形式で成り立つ酒折連歌の作品募集も二十一回目となりました。この形式の特色をどう生かした作品が寄せられるか、そんな楽しみのある酒折連歌賞です。応募者の年齢の幅の広いことも楽しみの一つです。応募数のおおいことは、即ち選句が大変なのですが、これはうれしい悲鳴というべきでしょう。
今回の大賞となった作品の作者は十八歳。答えの片歌のセリヌンティウスは、太宰治の『走れメロス』のメロスの親友です。この答えは、メロスのために人質になった親友へ対するメロスの心情です。この心情の決意を問いの片歌(一)に繋いだところに工夫があります。答えの「かならず行くから」は、そのまま問いの「靴ひもを」に続きます。(二)の問いと答えの「遺伝子の螺旋階段ときどき光る」は、一見無関係です。ところが「どこか遠くへ」の行く先が「遺伝子」であるということ、ここに深遠な繋がりがありおもしろい連歌となりました。
このように、問いへの答えがわかり易い作品であったり、味わうとじわりと深い関連がおもしろかったり、まったく無関係であるのに問いと答えで一つの言語空間を創出するものであったり、この連歌にはさまざまな試みが無限にあります。
応募者に中高生のおおいこともこの賞ならではの特徴のひとつです。百選入賞の百人の中に、アルテア部門の二十人ほか、一般部門に十代の方が二十八人もおられます。この学生さんだけでなく、おおくの応募者たちは、酒折連歌とはなにか、どういう形式か、むかし酒折で何があったのか、なぜ連歌なのか、そこを知ってのうえでの応募です。このことは、わが国の詩歌の源泉を知ること、「言霊の幸ふ国」の一人であることを知るうえにおいてとても大事なことだと思いました。
問いの片歌四 AIもスマートフォンもああ届かない 三枝エ之 先生
スマホが手放せない時代、将棋も囲碁もその他の領域も人工頭脳が席巻する時代ですね。そんな趨勢の中で、では「届かない」と投げかけたらどんな反応が返ってくるか。これが私の問いです。もっとも多かったのは人と人が直接向き合うことの大切さ、でした。「この想い伝える術はアイコンタクト」、「誤るの?スマホじゃなくて目を見て言って」などの答が心に残っています。スマホやAIに無縁の暮らしというプランにも心惹かれる温かさが生きていました。「いいものよ昭和のままで生きているのも」はなにかスローライフの勧めのようにも読めます。「ありがたいありがたいねが祖母の口ぐせ」、「ふるさとは鍵のいらない菜の花の村」も同じですね。ユニークなプランも多かったです。その中の一押しは「本能寺教えてあげたいこれから謀反」です。もし織田信長がスマホを持っていたら、という奇想に近い設定です。そうしたらどうするか。時空を超えて謀反情報を届けられたのに。「これから」が切迫感を増幅しています。
こうしたさまざまな魅力的なプランの中で特に評価されたのは岩国市麻里布中学の藤中希叶さんの「だからこそ糸電話がねあるんじゃないか」。人と人の触れ合いの温かさを糸電話という懐かしい〈もの〉を通して表現したセンスが心強い。
酒折連歌は言葉のゲームであり、人生の襞を映しだす鏡でもあります。来年も楽しみながら思い切った冒険プランでチャレンジしてください。
問いの片歌五 小鳥用ひまわりの種にも賞味期限 今野寿美 先生
野鳥にとってたんぱく源が不足しがちな冬の間だけ餌台を置きます。盛るのはひまわりの種。シジュウカラはひとつくわえて木の上に飛び、両脚で押さえて器用に殻から中味をゲット。そのしぐさが可愛くて、いつも大粒を選んで買うのですが、袋にはしっかり賞味期限が記され、脂肪が少ないシニア向け、なんて能書きまで添えてあるのに驚きました。
答えの片歌は〈賞味期限〉の心理的圧迫に振り回される可笑しさを突いた作がまず多く寄せられました。矢野有佳梨さんの「なんだかなあ昔は嗅いで判断してた」に大いに共感。口調が戸惑いを体現しています。合田久美さんの「卵子さえ冷凍保存できる時代よ」は冷静に抵抗を表明。ふるってますね。松山紀子さんの「夏までに友達連れて食べにおいでよ」は、早く食べなきゃとばかり素直に応じながら加勢を求めるところが愉快です。〈賞味期限〉を人格に当てはめた答えの句では久田恭子さんの「『も』って何彼女の瞳ぎらりと睨む」のおもしろさが圧倒的でした。
ひまわりは共通の連想を呼ぶ花で、関智弘さんの「謝罪会見」、また堀卓さんの「この夏は巨大な迷路が浮かぶ」も世相をふまえた発想がたくましい把握を思わせます。
小鳥の食事よろしく「祖父祖母は今日も元気に一汁三菜」と答えた佐伯もかさんは中学一年です。端正な言葉遣い、粗食の祖父母へのいたわりが感じられ、片歌問答としての飛距離の点でも感心しました。
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