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歴史にあらわれた酒折宮

古事記 「即ちその国より越えて、甲斐に出でまして、酒折宮に坐しし 時歌ひたまひしく、 新治 筑波…」
注:「その国」とは相模国日本書記 「常陸を歴て、甲斐国に至りて、酒折宮に居(ま)します。
時に挙燭(ひとも)して進食(みをし)す。是の夜、歌を以って…」
※ 酒折ではなく酒折宮ということでこの地を表現している
東日本最大級の前方後円墳“銚子塚古墳”の被葬者、大和王権の東方 の進出拠点等々政治的側面は古代史の研究者にとっての異論、反論の尽きぬ所である。(半黄泉文化はつる国?)甲斐国誌〈神社部第二山梨郡万力筋〉「酒折宮(坂折村) 祀日本武尊ナリ社道貮町許リ直ニ官道に向ヘリ舊跡ハ本社ヨリ 四五町ノ上小物成山内に在り...」みとものかす 〈宮内庁御藏版〉「五時はかり里垣村に来る。酒折の宮、道の右の方に見えたれば…土人はこの社の舊跡は本社ヨリ四五町北なる山の内に在り石の祠あり…」文学作品の中に、例えば、 井伏鱒二〈「七つの街道」より〉「甲州には大昔からの古い道が残っている。これを古道と総称し、隣国 へ通ずる古い道が九本ある。それがみんな酒折といふところを起点として、酒折が扇の要なら九本の道は扇の骨である。」

 

 
 

 

 
 
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