問いの片歌一 春の風吹いてほどいてこだわりひとつ 井上康明 先生
今年の問いに「春の風吹いてほどいてこだわりひとつ」がありました。この問いは、暖かい春風がほどいたあなたのこだわりは何ですか、と尋ねています。コロナウイルスが流行し、私たちはさまざまな不自由を被っています。気持ちも身体も生き生きと解放することが出来ず、我慢し、耐えなければならない日々の暮らしのこだわりをほぐして欲しいという願いが、この問いには込められています。答えは、切実な願い、物語やささいな現実の一場面など、さまざまなこだわりを語っています。
「ヴィーナスは左足から陸へ下りたつ」という清水香実さんの答えは、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を思い出させます。そのヴィーナスが地上へ降り立つときは必ず左足から降り立つと語ります。この世を超越したヴィーナスでさえ、験を担ぐ人臭い姿があることをユーモラスに語ります。
「あやとりの最後はいつも東京タワー」という荒井千代子さんの答えは、あやとりというささいな遊びのこだわりを語ってあたたかい時間の流れを思わせます。山田綾香さんの「駅近で日当たりよくてバス・トイレ別」には都会の部屋探しの切実な実感が明るく籠められています。軽やかで機知に富む答えの片歌です。
問いの片歌二 物語あなたのページひらいてみれば もりまりこ 先生
世の中を見渡しても「物語」はあふれるほど存在していることに気づかされます。ドキュメンタリーや映画や小説など。時にその宛先は自分以外の誰かだと思いがちですが「物語」をじぶんにそっとあてはめてみることで、今まで見えていた世界と違う視点が得られることがあります。
想いを詩に託すということは「過去」を上手に手放すことでもあり、その過去があったから今の自分があるのだと、今現時点の地点がみつかることともいえるのではないでしょうか。
心にも方位磁石を持つように。心の置き場所を知る。そんな思いを今回の片歌のなかに表現してみました。
寄せられた作品には、今現在を映し出したものや過去を起点にしながらこれからの「未来」に思い寄せているものなど様々でした。
やはり作者の数だけ物語はあることを感じながら、選句していました。
一般部門の教育長賞を受賞された藤森大智さんの作品「何度でも改行できることに気付いた」。こちらは人生がうまくいかない時の「失敗」や「挫折」を感じている人へのエールにもなっていますね。
この片歌の中の「気付いた」と表現されたことで作者のみならずこの片歌を目にした方の気持ちに勇気をもたらすようなすてきな作品です。
「気づくこと」は今のじぶんを素直に受け止められることでもありますね。
酒折連歌を愛する方への応援歌にもなっていて素晴らしいです。
問いの片歌三 丸刈りの正岡子規も野球青年 宇多喜代子 先生
酒折連歌賞も回を重ねること二十四回。今年もまた意欲的な作品がたくさん集まりました。十三歳から九十歳までの方々がそれぞれの年齢にふさわしい作品をお寄せ下さり、拝見しながらまるで対面してお話をしているような気分にさせられました。似たような作品はあっても、一つとして同じ作品はなく、どなたもが等身大の自分自身を出しておられ、他に紛れることのないめいめいの言葉で表現しておられるスタンスが好ましく思われました。
十三歳の大柴悠仁さんの〈甲子園みんな坊主はあなたのせいか〉という正岡子規への呼びかけの句があります。ふと、子規さんが見たらなんというだろうと思い、たぶん「そうだなあ、もしそうだとしたら嬉しいなあ」そういうのではないかと想像しました。そんな場面を思い描きながら選を楽しみました。
決められた「問い」がある、創作に当たる場合、これは大きな制約となります。と同時に、この枠に縛られての創作をものにするというストイックな自由を楽しむチャンスにもなります。
一般部門の大賞作の問いと答えには早世の正岡子規に青春のいのちを吹き込んだような魅力があり、まさしく「問い」と「答え」で完成する一つの世界であると思わせるものがありました。
問いの片歌四 もちろん、と勢いづいてその先がない 今野寿美 先生
人と人との接触が阻まれる社会になって、もう三年です。そんな渦中だからこそ、交流のなかで飛び出すちょっとした戸惑いやほろ苦さを思い出したくて詠んだ片歌でした。相手の問いかけや頼み事に胸を張って、あるいは胸をぽんとたたいて応えようとしかけたのに、つづけて言うべきことばが出てこなくて間の悪い思いをする。寄せられた答えの片歌には、いろいろな場面のその間の悪さが作品化されていて、広がりを感じました。
ひとつには世界状況。ロシアの武力侵攻は世界中の社会を疲弊させ、その先ゆきもまた不透明です。時事的な要素には誰の心にも迫る強さがあるのだと思います。
この国の社会、世相、個人の暮らしを反映させた作品にも精彩がありました。藤原紘一さんの「天国は相部屋ですか個室でしょうか」、内田誠さんの「ないなりになんとかしろと受けるパワハラ」。ここにも現代社会の苦しい様相が浮かびます。もう数年にわたって「貧困」が叫ばれていますし、多様なハラスメントの実態はいよいよ深刻です。どちらもその捉え方が冴えていました。
井上秀子さんの「オフコース今さら辞書で引いてるレベル」は異色のおもしろさ。「オフコース」は基礎英語のごく初段階で覚えるはずですが、問いの片歌に反射的に思い出しながら、冷やかしめかして返す機転がすばらしい。肥後佑衣さんの「目の前の孫の名前は太郎だったか」は、加齢につれて誰にも現れる現象が、かわいい孫の前で露呈した哀しさ。もちろん、ユーモラスな展開です。
問いの片歌五 向き合えばあれが欲しいね二人のディナー 三枝昂之 先生
二人のディナーではなにがほしいか。今回私が投げかけたのは実にシンプルな問いです。シンプルだから応えは容易ともいえますが、むしろ容易だから類型的な応えになりやすい。多かったプランは思い出の一品です。鯨肉、コンビニのおにぎり、マクドナルドのエビフィオレなどなど多彩な「あれが欲しい」が並びました。
しかしこのプランで残ったのは「焼き芋だ!ヤマトタケルと火焚きの翁」だけでした。焼き芋に酒折の宮の物語とセットしたところに工夫があった。つまり、応えのプランにもう一工夫がほしいという結果になったのです。
ディナーという場面は生かしながらおもしろかったのは「取ってきてあなたの方が醤油に近い」。ざっくばらんな庶民性と「ディナー」といった少しかしこまった設定とのミスマッチぶりが楽しいです。
今日的な世相を生かしながらの工夫は「ばあさんやあれだよあれあれ、ああ、あれですね」と「抗体をすりぬけてくる恋のワクチン」でした。前者は超高齢化社会を、後者は三年経っても収束の見えないコロナ禍が遠く反映しています。
酒折連歌は言葉のゲームであり、人生の襞を映しだす鏡でもあります。来年も楽しみながら思い切った冒険プランでチャレンジしてください。
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