「第六回酒折連歌賞」 総評
 
問いの片歌 1  聞こえてる草原をゆくあの鐘の音が (もりまりこ)

いま、聞こえていた鐘の音が耳に響いた刹那、消えてゆく。でもそれはほんとうに消えてしまったわけではなく、人々の胸のなかにはいつも残響のような音色がしまわれているものなのかもしれません。  今回の片歌1では音の持つ瞬間性が、どんなふうに答えの片歌へと導かれてゆくのか興味がありました。  大賞に選ばれた「目を閉じるとほくの川がみえてくるまで」は、静かに記憶を手繰るときの行為を片歌の中で再現しているかのような作品です。「目を閉じる」過去と「鐘の音」の「聞こえてる」現在、そして「とほくの川」がゆっくりと「みえてくる」未来までもが、ひとつになった時間の流れを巧みに表現しています。  日々の暮らしの中で、ふと耳にした音が、時間が経っていつの日か大切な何かに触れた途端、かつて聞いた音が今ここに甦り記憶が鮮やかに浮かび上がってくる時。どこかへいってしまった音が片歌に託されて、はじめて音はもういちど息を吹き返します。また、ほんとうに耳に聞こえた「鐘の音」ばかりでなく心で聞いた「鐘の音」と解釈することで、問いの片歌の地点から、時間枠を越えたひろがりがもたらされます。  答えの片歌を詠んでいる作者とその作品に触れる人たちが片歌のことばに共鳴して、読み終えた後にたしかな余韻を残してゆくそんな片歌の楽しみ方を感じとることができました。

問いの片歌 2  ふるさとの味にたちまち昔に帰る  (深沢眞二)  

これに対する答えを読むのは楽しい仕事でした。いろいろな「ふるさと」の味覚が集まってきたからです。記憶に残ったおいしそうな食べ物を挙げますと、ナベいっぱいのほうとう、ほしがき、野沢菜でくるんだおにぎり、畑でほおばるトマト、東北地方の漬物「ガッコ」、八十八夜の新茶、雪の下の蕗の薹・・・。やはり、ぜいたくな料理ではなくても答えの作者がほんとうに「おいしい」と思っている味を言葉で伝えてあれば、作品として説得力がありました。  ポイントは、そこに加えて、「昔に帰る」の昔がどのような「昔」なのかを、表現できるかどうかだったと思います。子供のころの記憶がよみがえってくる感覚や、慕わしい肉親の思い出、あるいはそれらとうらはらの、過去の時間の喪失感などを描き出せた作品が高位 に入賞しました。また、味を特定しなくとも、「昔」の生活感がじゅうぶんになつかしく表現されている作品は百選に入りました。  味覚は不可思議なもので、一瞬のうちにひとの意識を過去に引き戻す場合があります。それは人間の意識の中では、なかなか言葉にしにくい部分です。味覚と言語という、ことなる領域の感覚を結び付けるのは難しいかと思いましたが、期待以上の答えが集まりました。

問いの片歌 3 夕茜しめきりはまだ間に合うだろう  (三枝昂之)  

問いの片歌にどんな答を返して楽しむか。酒折連歌はケータイメールのやりとりに近い今日的な会話であり、言葉を楽しむゲームでもあります。そこでは、問いに刺激されて記憶の底に沈んでいた遠い自分を思い出す人もいれば、答の中で全く別 の存在に飛躍することを楽しむ人もでてきます。答える人は老若男女、年齢や性別 を超えたイベントですから、そこに今日の日本を生きる人々の内面がパノラマのように広がります。そこが酒折連歌のなによりの魅力です。  さて私の問いの片歌は「夕茜しめきりはまだ間に合うだろう」です。  あなたはどんな締め切りを持っていますか、あるいは思い浮かべますか、というこの問い、少しやさしすぎたでしょうか。同じような答えが多くて驚きました。一番多かったのは原稿の締め切り、次に多かったのは宿題の締め切りです。しかし、同じような答が多いと、選ばれるのは逆に難しくなります。問答を楽しむためにも、もう少し自由に締め切りを考えることも大切です。  その中で私は「色彩を繋いで作る母へのベスト」に注目しました。締め切りは心を込めて編んでゆくお母さんへのベスト。この着想がまず新鮮でした。「色彩 を繋いで」もうまい。赤、黄、緑、カラフルに編み上がってゆくベストが見えてきます。そのカラフルぶりがお母さんへの愛情。着たときの喜ぶ顔が見えてくるようで、楽しい締め切りになりました。  せっかくの伝統の香り高い言葉の遊びです。いろいろなトライを楽しみましょう。次の答の片歌を楽しみながら待ちたいと思います

問いの片歌 4  満開の桜並木に今日も染まって (廣瀬直人)

「花鳥」〈かちょう〉という言葉があります。 辞典には自然の美の代表とか、花を見たり鳥の声を聞いたりする風雅な心という解説がありますが、一般 的には、この「花」は桜として受け入れられています。どこへ行ってもすぐ百本を越えるほどの桜の並木が目に入ります。そして、わずかな風にも散り乱れる風情が賞美されていますが、散るひとひらも目に入らないいわゆる満開の景に出会うことはなかなかむずかしい。そんな咲ききった桜への期待も込めながらの問いの片歌です。おそらく返歌し易く感じられたと思いますが、それだけに問いの内容との距離がなさすぎて平板に終ったものが多かったようです。一旦問いの片歌の情景から離れたあとのつなぐ心の動きによって問いと返しにふくらみが生まれるのではないかと思います。その点で、私は、中学二年生の  届かない思いに今もつながれたまま この返しに特に感銘しました。この相手が誰だろうという詮索よりも、読む人の誰の過去にも潜んでいる思いを誘い出してくれるのではないかと思うのです。自分個人のものでありながら誰とも共有できる普遍性につながるところに作品の魅力が生まれます。
 
大賞選評
大賞(問いの片歌 1 聞こえてる草原をゆくあの鐘の音が)

目を閉ぢるとほくの川が見えてくるまで   P.N遼川るか

【評】作者はじっと目を閉ぢて、今草原をひびきわたっている鐘の音に耳を澄ましています。その音は、過ぎ去った日の、しばしば刻を過ごした水辺で聞いた音と同じです。一緒に聞いたのは誰であったのか。それぞれ読む人の心の中にあります。なにもかも、鐘の音とともに思い出のなか。                 (廣瀬直人)
 
佳作選評
佳作(問いの片歌 1 聞こえてる草原をゆくあの鐘の音が)

逢いたいと想い届けて風になるまで  宮川治佳

【評】今はそこにいない誰かへとこめられた切実なメッセージのような素直な作品です。耳に届く鐘の音と祈りの形にも似た「逢いたいという想い」の一体感。まるで、風が生きているように鐘の音を携えながら彼の人へと運んでゆく様が目に浮かんできます。まっすぐな感情ににじんだせつなさも、「風」にこめられた展開でさわやかな想像を誘ってくれます。  
(もりまりこ)

佳作(問いの片歌 2 ふるさとの味にたちまち昔に帰る)

ほうとうがナベいっぱいで幸せだった  室井睦美

【評】「ナベいっぱい」のほうとうを作る家なら、父母、兄弟姉妹、祖父母もいるような大家族だったのでしょう。決して贅沢ではないけれどおいしいそのほうとうを食べた満足感を思い出すとともに、子供のころ、たくさんの家族に囲まれて暮らしていたそのこと自体の「幸せ」を追憶しています。作者は、今、おそらくはささやかな量 のほうとうを食べながら、大家族のいたころの台所を懐かしんでいるのでしょう。「幸せだった」というストレートな表現がこのように生きて使われる例はなかなかありません。気候の厳しい甲州の家庭料理、「ほうとう」そのもののあたたかさが隠し味になっています。                   
(深沢眞二)

佳作(問いの片歌4 満開の桜並木に今日も染まって)

父と来し道なり今は子と歩むなり  松林新一

【評】満開の桜並木ですから、それだけで心が浮き浮きしてきます。花見酒のプランもぴかぴかの一年生のプランもありますが、桜は年々咲いて年々人を楽しませます。だから桜には人生的な味わいがあります。この答えの片歌は、父と自分が楽しんだ桜の道、その道を今は子と歩んで、遠い時間を懐かしんでいます。そこに桜並木ならではの人生の時間が表現されています。満開の桜にふさわしい、味わい深い問答になりました。
(三枝昂之)
 
特別賞(アルテア賞)選評 (もりまりこ)
アルテア賞最優秀 (問いの片歌 1 聞こえてる草原をゆくあの鐘の音が)

響きゆく千の街角追い越しながら 名取隼希

【評】「鐘の音」がすこしずつスピード感を持ちながらエネルギッシュにいくつもの「街角」を疾走してゆく。なにか大切なことを告げてゆく「鐘の音」が空の上から俯瞰していると見立てた着眼点が透逸です。「千の街角」がよりダイナミックに表現されていて、風が通 り過ぎた後の爽快さまで運んできてくれるようです。
アルテア賞 (問いの片歌 1 聞こえてる草原をゆくあの鐘の音が)

夢を見た午後のひととき紅茶にとかす 原田渚

【評】遠くから聞こえてくる「鐘の音」がついさっきまで見ていた「夢」の「ひととき」とまじりあう瞬間。誰にも経験のある一瞬を、響いてくる「鐘の音」の余韻と共に「紅茶にとかす」と付けているところがとてもユニークです。映像を言葉に翻訳するのではなく、片歌ならではの魅力が活かされた、イメージ豊かな作品です。
アルテア賞(問いの片歌 1 聞こえてる草原をゆくあの鐘の音が)

草と木と雲と視界と僕をゆらして 蜂谷惇起

【評】読み終えた後、風を感じさせてくれるスケールの大きさに圧倒されます。目に見えない「鐘の音」がいつしか確かな輪郭を持った存在となって聞こえてくるようです。はじまりの「草と木と雲」を放ち、辺りの「視界」を包みこみ、最後に着地して「僕をゆら」す。「鐘の音」の視点を追体験している面 白さがとても印象的です。
アルテア賞(問いの片歌 1 聞こえてる草原をゆくあの鐘の音が)

耳の奥まだ温かい音の響きが 天川央士

【評】耳を掠めてゆく「鐘の音」をなにか大事なことを聞き逃さないように、「耳の奥」でしっかりと受け止める。つかのまきえてしまうもの、通 り過ぎてゆくものへの深い想いが伝わってきます。「まだ温かい」と表現した工夫が残響というはかなさに、永遠の時間をもたらしています。温かさの余韻を感じる作品です。
アルテア賞 (問いの片歌 2 ふるさとの味にたちまち昔に帰る)

トマト切る母の背中にモンシロチョウが 岡部佑妃子

【評】どこからか、迷い込んで来た「モンシロチョウ」が、風のまにまにふと止った先は、「母の背中」。そっと息を潜めながらいつくしむように「母の背中」を眺めている、微笑ましい台所の風景。母も娘もきっと言葉は交わしていないのにそこに描かれた「トマト」の涼しくて青い香りが、漂ってきそうな温かみのある作品です。
アルテア賞(問いの片歌 2 ふるさとの味にたちまち昔に帰る)

蕗の薹祖母と二人で摘んだ早春 佐藤紗也佳

【評】答えの片歌の包みを開けた途端に「ふるさと」の匂いが香ってくるような作品です。「蕗の薹」のほろ苦さと懐かしさを追いかけながら、作者と「祖母」は、旬であるいまを「摘ん」でいる。過去と現在とすこしだけ先の未来が込められています。季節の栞にも似た、日記のようなひとときが、片歌の中で再現されています。
アルテア賞(問いの片歌 3 夕茜しめきりはまだ間に合うだろう)

この瞬間を閉じ込めたくてシャッターをきる 吉田奈未

【評】問いの「しめきり」を、写真のシャッターチャンスに見立てたまっすぐな視点に惹かれました。目の前で見ている「夕茜」の鮮やかな色にこころが動いて、いつまでも忘れたくなくて、カメラを構える作者。この答えの片歌の中に作者じしんが言葉でシャッターを切った瞬間にも読む人たちが出会えている不思議さを感じます。
アルテア賞(問いの片歌 3 夕茜しめきりはまだ間に合うだろう)

走り出す夢のつまったノート片手に 浅利奈穂

【評】ふと眺めていた「夕茜」に誘われるように、気持ちがどこかへとぐいぐいと引っ張られて、思わず「走り出す」時。想いのつよさが高まってゆくに連れ、走る速度もましてくる、ストレートな表現です。いましか描けない瞬間がゆるぎない視線で詠まれています。明日をみつめる視線の中に希望が託された若々しい作品です。

アルテア賞(問いの片歌 4 満開の桜並木に今日も染まって)

自転車を漕げば帆になる真っ白きシャツ 梶原由加里

【評】「満開の桜並木」を、駆け抜けてゆくひとつの「自転車」。ペダルを思いっきり漕ぐと、誰かの着ている「真っ白きシャツ」が、ヨットの帆のように風をはらんでいる。動くことのない不動の「桜並木」と、自在に駆け回る「自転車」との対比が、より片歌に動きをもたらせています。力強さがみなぎった、鮮やかな映像美です。

アルテア賞 (問いの片歌 4 満開の桜並木に今日も染まって)

目と閉じるわたしの心何色ですか 根本若奈

【評】記憶の中の「桜並木」の淡い色を想う度に、みえない「わたしの心」の色に思いを馳せてみる。「目を閉じる」時にまぶたの裏に浮かんでくる色と「桜並木」の色がひとつにまざりあってゆく時の、つかめそうでつかめないまだ見ぬ 「わたしの心」の色。かすかな不安をにじませながら自分への問いかけが印象的です。
 
総 評
 
今回アルテア賞に選ばれた片歌は、今を生きていることの躍動感にあふれた作品が揃いました。  片歌をつくるということは、問いとの連なりを視野に入れることですのでしぜんと過去を視ている作業から始まりますが、今回は過ぎた時間に立ち止まらない現在が生き生きと表現されている片歌に出会うことができました。  どの片歌の答えの中にも「ここ」から出発するという強い意志が見受けられました。句の中にそんな決意がとけあうことで、片歌の中に流れている「いま」という時間が精一杯活かされてゆく。若い作者の方々からのエネルギーがみなぎっている答えの片歌が目指そうとしている視点は、明日を見据えながらもかけがえのない今までの時間を礎にした未来への時間でした。  目にみえなかったものや、手に触れられなかったものが、片歌に託されることで、みずみずしいもうひとつのあたらしい時間を得た、そんな片歌の表現の世界を存分に楽しむことができました。
 
 
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