「第七回酒折連歌賞」 総評
 
問いの片歌 1 砂時計こぼれるようにふりつもる今 (もりまりこ)

どこかに置いてきたような時間がふりつもりながら確かな今へと繋がれてゆく。 今回百選に入選された答えの片歌は、なにげない日常の中に息づいている確かな時間に気づかされる作品にたくさん出会えることができました。ガラス瓶の中にしまわれている砂をひっくり返すことと、自分の心の中の記憶を後戻りさせることがひとつになったとき、一瞬であった時が片歌の中でいのちを吹き返します。 そして問いと答えの片歌を読み終えた時には、またふたたび「今ここ」に着地しているそんな円を描くような時の流れが、表現されていたように思います。ありとあらゆる速度に囲まれている現在。ふと足をとめて、少しだけ歩調をゆるめた時にみえてくる世界。片歌を通 して、伝えてくれている、一瞬や永遠や未来や過去やそして現在。心のどこかに忘れられている情景は、片歌というフレームの中に放つと、とても生き生きと見えることがあります。 唱和することの面白さを片歌の中に見い出してくださった、そんな答えの片歌に出会えますことを来年もとても楽しみにしております。

問いの片歌 2 春よ来い早く来いとてどこからか歌  (深沢眞二)  

この問いの片歌はもちろん唱歌の歌詞の一部を使ったものです。歌っているのは誰でしょうか、そして、どこで歌っているのでしょうか、あなたにとってあの歌がふさわしく思われる場面 をお答え下さい、という質問を投げかけたわけです。 応募作の答えは、大きく三つのタイプに分けることが出来ます。  第一のタイプは、「春よ来い早く来い」を唱歌にあるとおりに小さな子どもの気持ちととって、ご自分の子供のころの思い出や身近な子供たちのすがたを描いた作品です。たとえば「優花ちゃんが一歩あるいた立餅しょって」は、九歳のお姉ちゃんが幼い妹の ことを歌った作品で、この「答えの片歌」だけでも読むこちらまで嬉しくなってしまうような喜びに満ちた情景です。そして、もとの唱歌の「あるきはじめた」が生きているので、そのつながりに気付くといっそうおもしろく読むことができます。第二のタイプは、「春」を人生の「春」ととって、思春期の喜びや不安を歌った作品です。「すこしずつゆっくり早くわたしは桜」がこのタイプですが、「わたし」と「桜」が一体化して、そのどちらのこととしても読めるところに趣向があり、また、青春のただなかを過ごす心情として共感を呼びます。そして第三のタイプは、人間ではないものが春を待望していると読んだ作品で、その場合の「歌」の声は現実のものではない、作者が心の中で聴いた声ということになります。いわばそこはファンタジーの領域です。「ぜんまいが春の時計をくるくると巻く」や「_(ぶな)林根元の雪がまあるくとけて」がそうです。この二作品の良さは、「問い」の背景にある唱歌のふんわりとした童話的な雰囲気を、いかにもふさわしい植物の様態の描写 によって、見事につないだところにあります。  このように、「問い」と「答え」のあいだに、何かひとの共感を呼ぶ心情とか、効果 的な、または、思いがけないつながりなどがあると、その付け合いは輝きます。時には作者の意図を越えた表現効果 があるのではないかと思われることもあります。そこがこの問答形式の詩の特性と言えます。

問いの片歌 3 本当はあきらめきれぬ夢がまだある  (三枝昂之)  

これが私の問いでした。「本当は」ですから、夢に向かってまっしぐらという姿ではなく、別 の道を歩んでいるけれども心のどこかには棄てきれないで残っている夢がある。そんな設定でしょうか。「本当は」ですから、片歌は心の中にしまったままの夢はありませんか、という問いかけなのです。  今回の答の片歌で一番多かったのは、まだあきらめるな、がんばれ、という激励型のプランでした。よく分かる答ですが、より好ましいのはどんな夢か、夢の魅力的な中味を提示してくれるプランです。たとえば中野花香さんの「はじまりは母と作った焼き菓子だった」。中野さんは十九歳の学生さん。心の奥に残っているのはケーキ屋さんかパン屋さんになる夢でしょうか。そのきっかけがお母さんと焼いたお菓子。ここがとても楽しいですね。萩原亜季子さんの「君だけの幸せ願う母は卒業」にも注目しました。子育てが一段落して、さてこれからは私自身の時間だよ、子育てのために中断していた夢にむかって一歩を踏み出すよ、といっています。壮年期にふさわしい答でした。  中学生の菅理美さんの「星空よ夢ってこんなにたくさんあるのか」にも私は注目しました。あきらめきれない夢は誰にも一つぐらいはあります。この答は夢の一つ一つを挙げるのではなく、夜空いっぱいに広がる星の数ほどたくさんの夢で応じたところが意外で新鮮です。ここからは夢をあきらめることはないというメッセージも感じますし、別 の夢だってこんなに沢山あるよという声援も感じます。星空への感動を無限の夢に広げて、スケールの大きい、読む人に勇気を与える答です。  酒折連歌の問答は楽しい言葉のゲーム、次回もさまざまな言葉の冒険を試みていただきたいと思います。

問いの片歌 4 繰り返す大波小波船べりの音 (廣瀬直人)

山梨という地に生まれ育ってほとんどここで七十代半ばまでの歳月を過ごしてきました。八方山ばかりの風景を日常の景として目にしていますと、どこかであの果 てる事のない海の遥けさへの憧れが育ってきたように思います。わけても、昭和二十年の終戦までの数ヶ月でしたが、海軍兵学校に入って長崎の大村湾の海で短艇を漕いだり、遠泳をしたりした日々は、今になってみるとなつかしさもあります。問いの片歌が生まれたのはそんな若い頃の海浜での生活が蘇ってきたのかもしれません。私が大賞の候補として選出した その波を分かつ舳先に立っている今 という作品は、十六歳の高校生。言葉とリズムの均衡のとれた張りのある表現に若者らしい将来への初々しい意志が読みとれます。しかも問いの内容を一旦突き放したところでつながっている点が答えの片歌の基本を示しているように思います。問いと答えとの間、つまり微妙な両者の距離間から生まれる余情の深浅の差が作品の良否の決め手になります。それには、数多く作って思いきりよく捨てていく自選のプロセスも大切な要素のひとつです。
 
大賞選評
大賞(問いの片歌 一 砂時計こぼれるようにふりつもる今)

すりきれたレコードに針がゆっくり落ちる 藤沢美由紀

【評】問いの片歌の、時間の堆積のように「今」をとらえる感覚に対して、繰り返し聴いているお気に入りのレコードをまたかけるという日常の場面 がよく呼応しています。いまはもう、「針を落す」という言葉さえ通じなくなってきましたが、思えば針を使って聴くレコードは針の先に「今」という時があることをよく示す象徴的な事物でした。「砂」のザラザラ感と、「すりきれたレコード」の音の感じが結びついています。砂時計を逆さにしてまた使い始めることと、レコードに両面 があることの連想も生きています。
(深沢眞二)
 
佳作選評
佳作 (問いの片歌 二 春よ来い早く来いとてどこからか歌)

ぜんまいが春の時計をくるくると巻く 今井洋子

【評】問いの片歌からは春を待ち望む心が伝わってきます。この一番待ち遠しい季節を呼び寄せるために、ここでは春の山菜として親しまれているぜんまいを登場させました。若芽は渦巻状ですから「くるくると巻く」は自然に出てきますが、そこに「春の時計」を挿入したところにセンスを感じます。ぜんまいの可愛らしい形状が時計に重なり、一歩ずつ春が近づいてくる時間の動きが伝わってきます。春待つ心が楽しく歌われています。
(三枝昂之)

佳作 (問いの片歌 二 春よ来い早く来いとてどこからか歌)

 坂内敦子
 

【評】早春の森では、幹のなかを流れる水のために、木の周りだけ雪が融けてドーナツのように穴があき、地面 が覗いていることがあります。山深くゆたかなブナの林の早春を、印象鮮やかに描き出した作品です。問答として読んだ時には、どこからか聞こえてくる歌声はブナの木に宿った魂であることが思われて、その雪の穴は楽しいファンタジーの入口みたいに感じられてきます。また、「まあるくとけて」という表現が「歌」そのものの節回しを思わせる点で成功しています。
(深沢眞二)

佳作 (問いの片歌 三 本当はあきらめきれぬ夢がまだある)

引き出しの絵の具のチューブまだやわらかい 水谷あづさ

【評】解説など必要としないほどわかり易い内容です。今は家庭の主婦としての日々でしょうが、振り返ってみると若い頃は一途に絵の道に進もうと精進していたのです。「まだ」の一語に気持ちのすべてが委ねられています。子供さんも手を離れたらもう一度好きな道を楽しまれたらいかがですか。
(廣瀬直人)
 
特別賞(アルテア賞)選評 (もりまりこ)
アルテア賞最優秀 (問いの片歌 1砂時計こぼれるようにふりつもる今)

悲しみに更ける夜露の雫の音色 加藤龍哉

【評】砂時計が計る「今」という時間の中に、聞こえない雫の音や見えない雫の色が、読む人の目に浮かんでくるようです。ひとりでいるときの時間を引き受けることが辛い時にも目を背けずにいる「今」が悲しみの器いっぱいにあふれそうに表現されています。  背筋の伸びた姿勢がこの片歌の中の背骨となって、揺らぐことなく時と対峙している視点に強く惹かれました。
アルテア賞 (問いの片歌 1砂時計こぼれるようにふりつもる今)

編まれゆくあなたを思い青いミサンガ 鈴木敬太

【評】ひと編みごとに思いをつなげてゆくミサンガ。砂時計の砂が「こぼれ」てゆくのを眺めながら思いまでもがこぼれてゆく。そんな連想が重なり合う「今」が描かれています。青く彩 られながら輪郭があらわれてゆくまで降りつもる時間が鮮やかな印象です。
アルテア賞 (問いの片歌 1砂時計こぼれるようにふりつもる今)

蒼の砂手からこぼれてコボレテ手カラ 渡邊ひとみ
【評】時が「こぼれて」ゆくという問いを答えの片歌の中でリフレインさせながら強調させたリズムのよさに注目しました。意味でつなげるだけでなく表記のユニークさが、心に迫ってきます。宇宙を思わせる「蒼の砂」が読む人の想像をよりいっそう誘います。
アルテア賞 (問いの片歌 1砂時計こぼれるようにふりつもる今)

砂は雪とけない思い熱してもなお 桜庭扶美佳

【評】問いの砂時計の砂を雪に見立てた、自在な世界観です。どんなに「熱しても」、とけない雪。そして誰かを想うほどけない気持ち。そのふたつがかたくつながりあうことによってたったひとつしかない雪が、ふりつもりながら今ここに誕生しています。
アルテア賞(問いの片歌 2 春よ来い早く来いとてどこからか歌)

晴れた午後チ・ヨ・コ・レ・イ・トで階段のぼる 羽田 麻美

【評】春を待ち望む思いを受けた答えの片歌はのどかでやさしい情景に着地しています。小学生が遊びながら下校しているそんなシーンがふわっと蘇ってくるようです。チョコレイトの表記が、階段をのぼる人の呼吸とそっと重なりあう楽しい作品に仕上がりました。
アルテア賞(問いの片歌 2 春よ来い早く来いとてどこからか歌)

呼ばないで卒業式の別れの春を 藤木春華

【評】春という季節は、はじまりとおわりを告げる季節です。この答えの片歌は春が来ることへの期待よりも別 れへの不安がまっすぐに表現されています。「呼ばないで」という呼び掛けが、歌声と不思議に調和しながら読む人をふと立ち止まらせるせつなさがあります。
アルテア賞(問いの片歌 3 本当はあきらめきれぬ夢がまだある)

光り浴び指先のばすトゥシューズ履き 斉藤友紀子

【評】光を浴びながら指先を伸ばしているその指先が触れている、「夢」の入り口。ひたむきさが片歌のフレームいっぱいに描かれています。トゥシューズを履いて練習に励むことが、「夢」に近づく為の第一歩であることをひしひしと伝えてくれている作品です。
アルテア賞(問いの片歌 3 本当はあきらめきれぬ夢がまだある)

胸を刺すあの日砕いたカケラがちくり 大塚幸絵

【評】置き去りにしていた「本当は」あきらめきれない「夢」がふとしたことがきっかけとなってじぶんの胸をゆさぶってくる。「あの日」砕ききれなかった「カケラ」の刺さった胸の痛みに気づく時、再び「夢」への扉が開かれてゆきます。共感を呼ぶ「夢」の形です。

アルテア賞(問いの片歌 4 繰り返す大波小波船べりの音)

霞みゆく遥かな故郷胸にしまって 今泉静香

【評】】問いの片歌に滲んでいる旅立ちのテーマ。船に乗り次第に霞んでゆく、たいせつな故郷。すべての記憶を胸にとじこめてゆくせつなさが静かに伝わってきます。遥か遠くに霞む度に故郷が胸に刻まれてゆくそんな思いが船べりの音に共鳴しているかのようです。

アルテア賞(問いの片歌 4 繰り返す大波小波船べりの音)

揺れながら君の鼓動を思い出しつつ 酒井菜穂子

【評】波の波紋を眺めていたらしぜんに思いを馳せている「君の鼓動」。そして波の調べに「君の鼓動」のリズムをどこかで思い出してしまう「船べりの音」。何かを視ても何かを聞いても誰かにつながってしまう思いが、穏やかに伝わってくる澄んだ印象の片歌です。
 
総 評
 
せつない思い、苦しい思い、伝えられなかった言葉。 今回のアルテア賞では、じぶんの中に抱えているこころのサイズにいちばんみあったことばが片歌に託されていた作品を選んでみました。ひとりだけの思いはこころを通 過して誰かの元に届けたいと、いつのまにかふたりのこころへと思いを馳せている。片歌を詠む楽しみがまっすぐに表現された十句は、みずみずしさにあふれていて、誰もが通 ってきた思いを読む人が共有できた時間が表現されていたように思います。読む人が共有できるためには、どこかで自分のこころを俯瞰できる冷静な視点も大切になってきます。今回のアルテア賞の十句の作品は甘さを控えながらもまっすぐな熱意に満ちた片歌が揃いました。 回を重ねるごとに表現することの楽しさと、読む人を楽しませることのできる答えの片歌に対する思いがこちらにまでひしひしと伝わってきました。来年もさらにあたらしい片歌の世界を描いた作品に出会えますことを願って・・・。
 
 
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