その九一


 







 







 



























  耳だけが うるんでしまう くしゃくしゃの息  

5月なのにもう夏のような陽射しの
土曜日。
わたしはとなりの駅にある海岸と
名のついた住所へと急いでいた。

おとなになってはじめてだれかに
きちんと物を習う。
とつぜんそういうことをしてみたくなったのだ。

畳の部屋に座って筆を持つ。
渡り廊下のすぐ向こうは、見えないぐらいの
木々が生え、ときどき葉擦れの音が
耳に届いてくる。

開け放った障子のすぐ下には
いくつかの額におさめられた書が
樹の幹によりかかるようにして
てんてんと、飾られている。

たちのぼってくる墨の匂いに
あぁこの懐かしい感じと、
記憶を手繰っていると、
知らない遠くの鳥の声が
風に乗って聞こえてくる。

目の前にはみえなくてもちゃんと
気配がぜんぶここにあることがいまなんだなぁと
思いながらくりかえし墨を擦っていた。

となりのおんなのひとの字も
そのまたとなりのおとこのひとの字も
みんなそれぞれ違う。

だれかの字が書かれたものは
たとえそれがぼろぼろの紙に
書かれていたとしても
なかなか捨てられない。

字をいとおしくおもうとき、
その字を書いたひとの手や指をいとおしく
おもうことと同じなのかも知れないなとおもった。

甥っ子が、じぶんのなまえをはじめて左手で
でっかく書いたちらしの裏の字も、
声を失った伯父が、わたしにくれたひらがなだけの
さいごのてがみも、
手帳の中に
いつもお守りのようにして入れてある。

字のむこうがわにはいつも、からだがあるし
声があるし、表情があるし、血がみえる。

いなくなった人とも会っている感じがする。

ちょうどはんぶんぐらい経った頃
先生が見せて下さった書は
とてもおおきな条幅に書かれた
『血族』という圧倒されるほど
ほとばしっている字だった。

散った墨の飛沫があちこちににじみながら
刻まれている。

そのときもういちど知らない鳥がしゅるしゅると
啼いて、風が凪になった。

あぁことしもまた夏がやってくるんだなぁと思ったら
祖父や伯父にむしょうに会いたくなって
彼らがいつか書いたかもしれない「夏」という未知の
字をゆるりと想像したくなっていた。
       
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