その一〇二

 

 

 






 






 



















 

遠すぎる まなざしのひと 改札ぬけて

突然思い立って、新しい美容室へと
足を踏み入れた。
もともとはそこはカレーが売りの
カジュアルなレストランと地魚の
おいしい居酒屋さんだった。

そしてそのふたつのお店は壁を
とっぱらいひとつになっていた。

カレーやさんと居酒屋さんがけっこんして
ちょっとこじゃれたヘアーサロンが生まれました
っていうところがなんか妙で、
その店はそこを通る度に
ちょっと気になる存在になっていた。

予約もなしでぶっつけ本番思いきって
髪を切ってもらう。

ずいぶんひさしぶりだったので、
何十センチも切ってみることにした。

ちっちゃな顔のつんつんの茶色い髪の男の
美容師さんとおしゃべりしてるうちに
わたしの髪は、たくさん床に
散らばっていた。

お住まいはお近くなんですか?
風邪、めちゃくちゃ流行ってますよね、ひいてませんか。
この仕事大好きなんですよ、誰かの髪切ってるのって
楽しくって・・・。
雑誌、他のに替えましょうか。

そういう他愛のない話しを続けているうちの
出来事だったのだろう。
ふいに会話の凪がおとずれた時
わたしはちょっとだけ床を見た。

あ、ふわふわとゆれているのは切り離された
まぎれもないわたしの髪なんだ、と。

で瞬間的に、すこしだけ積み重ねた日々を
いまここに捨ててゆくんだと
店内を流れる好みのリズムの知らない曲の中で思った。

時間は通り過ぎてこの手にできないものだけれど
たまにこうして取り出して見ることは
できるんだなぁと。

床にちらばる時間をわたしはじぶんで
じぶんじゃないもののように見下ろしながら、
鏡の中に映る少年のような髪型のじぶんにむかって
なんとなく、なつかしい気分で
ただいまを云いたくなっていた。

       
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