その一〇三

 

 

 






 







 




















 

真夜中に こぼれておちる ひとりのひとが

きのう、ぽっかりと時間が空いたので
マティス展を見に上野まででかけた。

いまその時のことをひとつずつ
思いだした時にうかんでくるのは
いくつもの明るい色の重なりや
彫刻の背中。

ブロンズの背中が四つのヴァリエーションで
展開されていた。

きのうの記憶の中にあるのは
まっすぐスクエアに貫かれた背骨のかたち、

意思のつよいずっと昔の人の男の人の後ろ姿。

それを今見ていることのグルーヴ感。
おもわず溜息がでそうになったり
もうちょっとこころが不安なままだったら
涙まで出てしまいそうな感じの背中だった。

手相とか指紋とか虹彩ってぜったい他人と
おなじものはひとつとしてないらしいのだが
たぶん、背中というのもひとりっきりが
たったひとつだけもっているその人らしさに
満ちているものかもしれないと思った。

そういえば誰かの背中と誰かの背中をまちがえるなんて
ことはないような気がするなぁと。

たくさんのあざやかな色を目に浴びたあとで、
もうひとつだけ強烈にでも
ふっと静かに思いだす作品があった。

鮮やかな眩しい色も用いない
たくさんの作品群の中にはひっそりしているぐらい
目立たない一枚のドローイング。

そこに描かれているのはRememberという文字と
ペンを握っている指だけ。

プロセスということにとても関心の強かった
画家であったと記された栞を読みながら
わたしにとってはその一枚がとっても
深く心の中に棲み着いてしまった。

Rとeとさいしょのmとにばんめのe、
にばんめのmとbと
さんばんめのeが紙に描き出されていて
いちばんさいごのイニシャルrは
いままさにrを描こうとしている
ペンを握る指や手の甲そのものが描かれている
まさに文字を書くプロセスが絵で表現されていた。

時間がそこに映し出されている気もしたし
いまというその瞬間を絵の中にいちばん
ストレートな方法で閉じ込めている気もして
いちばん好きな作品だった。

そうそう、いまこんなに言葉にならないぐらい好きだとか
いまこんなにうれしくてびっくりしたとかを
いつもいつも伝えたいときには
伝えたいひとは遠くにいるんだなぁと
リアルタイムで思いのプロセスを届けるって
なんてむずかしいんだろうと
西洋美術館の展示ガラスの前で
ひとりしんみりしてしまった。

たった数時間前のことをリビングで思いだす。

そういうぜんぶこころとからだが
記憶していることはたったひとりで
降り積もってゆくから、いいのかもしれないと思いつつ、
マグカップの湯気のむこうの方に
<Remember>を感じながら
いまどうしようもなく夢中になっている本のつづきを
あと何ページかだけ読んだら眠ろうと思った。

       
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