その一三二

 

 






 







 
















 

池袋 すきときらひを くぐってあした

朝から聞いちゃいけない音楽っていう
類いの曲があると思うのだけれど
どうしても、パッケージのビニルの外装を
やぶりたくなって
出かけるまでの1時間をつかって
聞いてしまう。

サックスとかピアノの音が
そこらへんにあった低い温度の朝の空気を
からめとって、たちどまらせる。

朝だよいまはって言い聞かせているのだけど
もうすでにあたりが夜になっていて
これからわたしは、バスに乗って降りて
海辺の街を何十分も歩いて
元気にこんにちはっていって
教室へ向かわなければいけないのに
夜だった。

もっていかれたままのからだとあたまで
そのCDの中のテキストを読んでみる。
それはとてもふしぎな詩のようなテキストで
フィクションのような憂鬱とその治療法について
記されている。

パリの右岸にある広場をタクシーで
なんども周回することでその病が
ほかの憂鬱に塗り替えられると云う療法について。

コンコルド広場、ヴァンドーム広場、シャトレー広場
パスティーユ広場。
深夜のタクシーで周回しているサックス奏者。
わたしが見ているのはテキストに
モノクロで映っているぼんやりとした明かりの
むこうにあるぶれてる広場とタクシーの後ろ姿の写真。

音と共に頭にやきついてしまって、なんだか伝染。
いちど知ってしまったこういうあたりを
負のエネルギーでリセットしてしまう音は
またいつか聞きたくなるんだろうって思っていたら
もうすでにくせになっていて
翌朝もそのCDを一人の時をねらって
セットしていた。

免疫がついてるからだいじょうぶとたかを
くくっていたのだけれど
もうすぐにそこだけが夜になってしまった。

この間、終電にまにあわなくて品川から
タクシーに乗って帰った時のことを
思い出していた。

あの時深夜のタクシーはどこかを周回することは
なかったけれどわたしの頭のなかは
とてもせつない思いばかりがぐるぐるとまわっていた。

じぶんいがいのたいせつなこととか
いまここにいることのふしぎとか。
いつも音楽があたまのなかを
駆け巡っているような感情にひさしぶりに
出会って、わからないのだけれど
憂鬱っていう病の生まれる瞬間をみて
しまったような感じ。
だからあのサックス奏者がいっていたように
ぬぐい去るのではなく上塗りするための
メランコリーのために
やっぱりこういう音楽が必要なんだなと
にわかにふにおちた。

       
TOP