その一三七

 

 





 








 










 

まじまじと 指みつめてる どっちがふぇいく 

ただぼんやりとブラウン管を
みているだけなのに
その画面いっぱいにこっちに
とびだしてきそうな人。

つくりもんだと知ってはいるし
日常を映し出したようにみえても
そこにはちゃんと演出がなされている
ものが番組だとはじゅうじゅう知ってはいても
とっても印象的な光を放っている人を
この間見た。

「情熱大陸」という番組にでていらした
画家の人だった。

ビルを描いてほしいといわれ遠近法の
描き方のテキストをひもとき
はじめて逢う人への名刺はその場で
手描きをし、
インタビューするよりもちょっと似顔絵かいて
いいですかと人懐っこく距離を縮める人。

みんながあたりまえに水道や電気や電話など
公共料金を払っていることを思うと
ふ〜と気が遠くなることもあったという
件などはなんだか私も似たようなことを
感じたことがあるので妙に共感してしまった。

その画家の男の人は、あるとき小説の挿し絵を
一生懸命に描いていた。
色を一切つかわずに黒だけで。
筆捌きというのか指の動かし方が倍速モードで
みているかのように素早く動く。
そしてやっぱりだめだな描けてないなと
やにわに立ち上がって外へと向かった。

外はざーざーの雨だった。
インタビュアーの人にちょっといいですかと
傘を持ってもらってその画家の人は
けんめいにインタビュアーを映している。

なんだろうと思ってたら
ほら、雨を映したいなって、雨ってどういう
ものだったけって・・・。
挿し絵に描きたい雨を描く為にちゃんと
雨の降っている外にまで出向き写真におさめる。
そのシーンを目にした時わたしは、あぜんとして
ちょっといいなと思った。

そしてその人の描いている絵をちゃんと見てみようと
思って。
たまたま母の読んでた月刊誌のページを開くと
その人の挿し絵が載っていた。
圧倒的な黒い線が横に横に夥しく折り重なってる
主人公らしき人の顔。
輪郭はその線だけで表現されている。

たとえば雨。
わたしが雨を描写するときに雨ってそもそもどういう
ものだったろうという立ち返り方はきっとしないなと思った。
記憶にたよってわかったつもりでぎもんももたずに書いて
しまっていることに気づかされた。

ふいに雨が降ると思いだす。
土砂降りの雨の中。何枚もシャッターを切る画家の笑い顔。

次の月曜日だった。
なにかわからないけれど今日はなにかの余韻が残ってるなと
思って、よくよく考えたらその人だった。
番組を見終わったというのにじっさいに逢ってしまった
人のように濃密な印象がじぶんの中に残っていたのだ。
くっきりと体感したようでびっくりした。

       
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