その一四二

 

 





 








 







 

するするり はぐらかされて 伝えそこねる 

たくさんの絵を見終わったあとは
すこし暗かった室内に慣れていた眼が
外の明るさにとまどって、
あぁなんとなく身体がやすみたくなってるなって
気がしてくる。

昔、三岸節子の絵を観にいってわたしは
なんというのか、からだのすみずみまでの
いままで眠っていたものがどくどくと
たちまち動き始めたみたいで
いてもたってもいられなくなったことがあった。

モチーフもそうだったかもしれないけれど
あのバーミリオンの放つ朱い色にやられて
しまったのかもしれない。

なにかをみたりきいたり逢ったりしていると
どこかにしゃがんでしまいたくなる
感情のレベルがいくつかあるけれど
あの時の経験はあとにもさきにも
あれがいちばんマックスだったような気がする。

この間藤田嗣治展を観終わった後、館内のギャラリー
ショップにゆくと、白髪のおばあさんが
そこの床に横たわるように倒れて居た。

医務室の人などもかけつけて、血圧を計ったり
しながら、おばさんはだいじょうぶですと
ちゃんと声を出して応対していて、
あとは少し休みをとってから帰宅することに
したみたいなので、ちょっと安堵した。
美術館の用意した車椅子に乗ってゆく
知らないおばさんの背中を見送りながら
そんな場面にでくわしたことでこころのなかでは
そうとうおろおろしていた。

たぶん絵を観るって体力なんだろうなぁと思う。

すべての絵に対して注視しながら全力でなにかを
感じ取るなんてことはもちろんできないけれど
でもなにか見逃してはいけないなって気持ちが
どこかに巣食いながら絵を鑑賞している気がする。

好きな一枚の絵の前に立ち止まる時。
全神経がようやっとひとつにまとまろうと
しながらぴんぽいんとで
それを感じようとしているのかもしれない。

ひとことも聞き逃しちゃもったいないなって
思っているときと同じで、
いつもは眠っている神経がふるに活動しはじめるから
たぶんそのせいで、は〜んと思わず
しゃがんでしまいたくなる感情に捕われるんだろうなって、
いまにも嗅覚がこわれていまいそうな
シンナー塗料の匂いにつつまれながら
書いています。

美術館を訪れた時の空の青さが懐かしい
五月のまんなかあたりです。

       
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