その一六六

 

 






 

















 

静けさは 生まれたせつな 宙になじんで

昔すんでた場所の夢ばかりみる。
でもそこに集うのはなんの面識もない
でもこっちは顔を知っているだけの人ばかり
なのになんの違和感もなしにしゃべったり
食事したり困ったり
なんとなく家族っぽいことを営んでいたり。

目覚めたあとはあの人たちとついさっきまで
家族であったことのふしぎにこころのなかが
ぽっかりと空洞をこしらえたみたいになる。

朝起きて、やだな変な夢みたなって思いながらも
あの柔和な笑みをたやさないO氏は、とてつもなく
父性のかたまりで、わたしのつぼにいちいちこたえて
くれていたことにうれしくなったりしている始末。

なのに、やっぱりなんの面識もない人と
父と娘であったことの途方も無い空虚さを
ひきずりながら階段を降りてってキッチンへゆく。

しばらくしてから母とおはようを交わす時に
ふっとニュートラルにかえってゆくかんじがして
あの夢から完全に解放された気分になる。

りあるな夢をみたあとは、ベッドのまわりが
とても沈黙している感じがする。

なにがどうなってそんな感覚におちいるのか
よくわからないけれどとりあえずしーんとしている。

音楽を聞き終わったあととも似ているのかも知れない。

曲が終わったあとのもうつかんでもつかみきれない
ところへ音が逃げてしまってどこかへとまぎれて
しまったときのあのだまりこくった空間。

この間ふだんは読まない夕刊に掲載されている
音楽評論家の方の文章を読んでいた。

モーツアルトの曲を聞き終わったあとの沈黙のことに
ついて書かれていたのだけれど、沈黙は音楽から
生まれるっていう文章を目にした時、
あ!って虚をつかれた感じがした。

モーツアルトじゃなくてもわたしはそういう経験を
していたはずなのに。
それってかってにそこにあるものだと思っていたわたしは
音楽がもたらしたさいごの贈り物のような沈黙を
はじめてのものに触れたときの手触りに驚いている感じで
手繰り寄せるように想像していた。

音楽から生まれていたたしかな沈黙。
静けさはかならずなにかから生まれているのかって思ったら
過去、身体でかんじたどうしようにも抜けられなかった
沈黙についてつらつらと思い起こしそうになった。
あれは結局なにから生まれていたんだっけ、 と。

静けさについて思っていたはずなのに心の中は
とめどなく饒舌で、いま聞いてる曲がこのままそっと
おわってしまうのやだなって思って、
エンドレスモードに切り替えた。

       
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