その一六七

 

 






 







 











 

砂の上 だれかのくぼみ うしなうせなか

まっすぐしゃんと立って片耳をおさえながら
歌を歌っている男の人をはじめてみたのは、
父と母と祖母が見ていた夕食後の夜の
歌番組だったと思う。

忠実に音をはずさないようにしながら
すこし眉間に皺を寄せながら
右を見ても左をみても闇ですねみたいなことを
歌っていて、その歌詞の内容がこどもにとっては
新鮮だったこととそれよりもなによりより
その男の人の立っている姿にほれぼれしたことを
覚えてる。

たたずまいってことばが、自然物以外のにんげんにも
ぴったりあてはまるなって意識するようになってから
わたしの頭の片隅にたたずまい一号として
密かにその人はひっそりと棲んでいる。

いつだったか夏の上野駅を歩いている時
同じホームで降りた人たちが出口へと急いでいた時に
いまから階段を降りるという寸前で
むこうから来た男の人とどうじに階段を降りるような
かっこうになったときその男の人は、腰を低くして
どうぞお先にという手の仕種でわたしを促してくれた
ことがあった。

雑踏はおしあいへしあいがふつうだしそこで誰かと
ぶつかるのが日常だと思っていたのでその男の人が
ゆずってくれたことにすこしばかり驚いたわたしは
会釈して階段を下降するその去り際にみるとはなしに
その人をみた。

初老に近い年令のその人は作業服のような目立たない色の
シャツとスラックス姿にポーチを持っていた。
片手でもなく小脇にはさむでもなく両手をお腹のあたりで
重ね合わせるようにして。
そこにぞんざいな感じはなにひとつなく、なにか大切な
ものをその姿勢でずっと運び続けている人のようだった。
その服装にふさわしいふるまいというものがあるとしたら
その人の腰の低さに、ぶれない時間の重みみたいなものを
感じて、わずかばかりじーんとしたのだ。
そしてじーんとした瞬間、あ、この人をわたしはどこかで
みたことがあるって強く思って人ごみに呑まれて階段を
降り続けながら記憶を辿っていた。

顔よりもまずあの腰の角度がやっぱり気になっていた。
洋服のときにはなかなか目にすることのない
所作だなって思って、たぶんあの人はふだん着物を
あたりまえのように着ている人にちがいないと確信した。
呉服屋さん? に知り合いはいないしとつらつらと
待ち合わせの美術館までの道のりを歩いている時、
ふと雨が降ってきたような音に似た観客席の拍手が
聞こえて、その人が高座にすわって扇子を操っている姿が
まるでさっきまでとは別人のように目に浮かんだ。
うっかり忘れていたけど、その初老の男の人は昔よく
テレビで目にしたことのある著名な落語家さんだった。

積み重ねてきた時間がやがてからだ全体ににじんでゆく。
そんなせつなくなるようなにじみかたにくぎづけになった
夏の日からあの落語家さんはたたずまい二号として
わたしのなかでいきいきと生き続けてる。

       
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