その一六八

 

 





 





 










 

いにしえの ゆびゆびゆびが うずまきながら

メキシコがどこかを旅しているチェリストの男の人が、
古い建物の前で立ち止まる。
円柱の石碑のまんなかにうずまきのもようが深く
刻み込まれている。
きれいなゆびの男の人がそこに触れながら云う。

うずまきをなでてるとちがうせかいに入り込むらしい
ですよと、しずかにほほえみながら呟いて。

生と死とのふたつをあらわしているんだそうですと
そのひとの指が弦を爪弾くように石碑を撫でる。

ゆびのはらにうずまきのでこぼことざらざらとした
感触が伝わってくるようなそんな動きだった。

なでるとちがうせかいに入り込むらしいって
フレーズを耳にして、ちいさいときひざこぞうを
ころんでけがをして祖母や近所のやさしいお姉さんが
してくれたいたいのいたいのとんでゆけっていう
おまじないの言葉を思い出していた。

ふれるとちがうせかいはほんとうにあるかもしれないを
はじめて体験したのがあれだったのかもしれない。

らせんかいだんでめまいするのに螺旋上の物がすきで
うずまきにも惹かれてしまう。

海底にいる貝の姿みたいなあのシンプルなかたちが
生と死をあらわしているなんて、やっぱり人は
そこにつれていかれてしまうものなのかと思って
しゅんとした。

しゅんとしてしまった理由の根っこを思った。
じぶんが折り返し地点を過ぎてしまったことよりも
好きな人や大切なが死んでしまうことを思って
たぶん瞬間的に萎えちゃったんだと思う。

うずまきいっこだったはずなのに大好きな人の
生き死にへとつながっているなんて、
今さらながらじぶんのベクトルに呆れてる。

その思いから逃げるように再びあの石碑に
映像を切り替えてみた。

X十年経ってみんながいなくなってもあの
うずまきの石碑がすっくと立っている風景。

あたりに乾いた風が吹いていて、触れるとね、っていう
あの言い伝えを聞いた知らない誰かの指が
はしゃぎながらちょっと照れながら
うずまきを撫でてる。

くりかえす指がらせんにそまってゆく。
みんないなくなってもらせんは薄れながらも生きてる
揺るがなさ。
かってに想像していたその世界は、あの人もわたしも
いなくなったとってもいさぎよい感じがみなぎっていた。

       
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