その一七五

 

 






 







 














 

ぽつねんと 余白がひかる ふたりのぺーじ

もうすぐその日がやってくるなって思ったら
ぱっつんと髪を切りたくなった。
歌を歌う前になにかしら咳払いする人のように
ちゃんと髪を整え短く切りそろえてから
おめでとうを云いたいなと思ったのだ。

9才のおたんじょうびおめでとう。
たったそれだけのことを綴るだけなのに、そわそわと
いんとろばかり長い曲みたいに、こころの中で
えへんえへんと空咳をして、文章を組み立てる。

でっかいのにやさしい物腰の美容師のお兄さんは
そんなに切っちゃっていいんですかいいんですかと
訊ねてくる。いいですよとわたしは云うのに
ためらってる感じで宙を泳ぐはさみの動き。
ぜんぜんいいですよもうじゃんじゃか切ってください
っていう意味をこめて、愛想よくにっこりといいですよと
鏡越しに伝えると、彼は納得したように
夢中で髪を切りはじめる。

背中よりすこし下ぐらいまでは届いていた髪が
どんどん切り落とされて、せなかから肩、うなじあたりが
途端に軽くなってくるのがわかる。
つなぎあわせるとおよそ20センチぐらいらしい、髪を
日曜日ばさっと捨てた。
床にちらばるちょっと過去の時間がくるくると
毛先をまるめながらあちこちにちらばってる。
ちょいむかしのわたしという殻を脱いで
脱皮したみたいなすがすがしい気持ちになってくる。

ふだん目にしないぶあつい女性誌のグラビアページを
めくりながら、すこしばかりその人のことを思いだす。
9才といってもその人は小学生なわけではなくて
この9年間、すてきなひとたちとひとつの世界を貫いていらっしゃる
もうちゃんとしすぎてるぐらいチャーミングなおとなだし
高校生のおわりぐらいからずっと憧れていた人だったので
お祝のことばといってもどう伝えればいいのか迷ってしまう。

この9年間のうち、ほんとうに出会ったのはいちどっきりだった。
その時、わたしは風邪をひいていた。前日から泊まっていたホテルの
空調のせいか熱っぽい風邪頭だったので宙に浮いてる感じで
ソファに座り、初対面とは思えないぐらいおしゃべりをして、
その人の事務所をあとにした。
浮いたまんまの足下で、コンビニに寄った時、地下鉄かなにかの工事を
しているとかで道路のまん中に信じられないぐらいの深い穴が空いていた。
見ていたら吸い込まれそうな、闇をたっぷり抱えた穴は、とてつもなく
現実で。
さっきまで憧れていた人が目の前にいた不思議やその人が、
ちゃんとわたしの名前をさんづけで呼んでくれるうれしさに戸惑いながら、
照れ隠しのように飲んだ冷たいラテが喉に気持ちよかったことさえも
幻のように思えてきた。
ずいぶん後になって仕事でお声を掛けていただいた時、
助け舟のようにさしのべてくれた言葉がいまも忘れられない。
ひとやものやいきものたちとなかよくすること、
向上すること、できなくてもできるだけあかるくあること
そして生きることは、すてたもんじゃないんですよってことを
いつも無言のうちにハンカチ落としみたいにわたしのうしろっかわに
置いていってくれたような気がする。

すっきりと短くなった髪型のわたしが他人事のように美容室の
おおきな鏡に映ってる。
美容師のお兄さんもダイナミックにはさみさばきに没頭できたせいか
すっごい印象変わってよかったですねぇと喜んでくれている。
わたしはあったものがないっていうなくした喪失感よりも
あったものが秩序をもってなくなっていく爽快感にここちよい軽さを
覚えて、ふたりでなんとなく笑いあった。
ひとつの仕事をなし終えた満ち足りた顔をしてしみじみ微笑む
お兄さんを鏡越しにわたしもしみじみ見る。
思いがけず役に立てた人みたいに、うれしくなってふたりで
もいちど笑った。

そうそういつまでも笑いあってばかりもいられない。
おめでとうのことばをどうしよう。
たぶんありふれたおめでとうになってしまう予感はしていたけれど
ふいに川上弘美さんが好きだと云うその人の話を思いだし
小説『おめでとう』を本棚から引っぱり出してみようとおもいついた。
こころのなかでおめでとうをつぶやきながら、
おめでとうとありがとうとは同じ円の中に棲んでいる
太古からとても仲のいいいきものなんだなぁという気がしてきた。
おめでとうと云う時こころはおしなべてありがとうに近くて。
このふたつのことばはたぶん云われるよりも云ってる人がいちばん
至福感を味わえるにちがいないと。
そんなことを考えながら夏服がにぎやかに並ぶフロアをすっとばし
エスカレーターを降りる。
小説のようにまたたくまに夜になってすべての家事雑用を
いつもの倍速で終えて、『おめでとう』のページを
ゆっくりと開きたくなっていた。

       
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