その一八一

 

 






 






 








 

さびついた こころがにじむ ちぎってもちぎっても

音楽を聞いてるとき、きゅっきゅっと
胸がすこしずつまんりきでしめつけられてる
ような気分になることがある。

あれってなんだろうと思う。
どこかすこし高い場所からずりずりと堕ちて
ゆくような感覚が垂直に訪れたそのせつな
胸がきゅっていう感触が水平に距離を
縮めてそのふたつの線がどこかで
交わってしまったとき
あぁこの曲好きってなる。

七月のさいごの土曜日、書道の稽古の日で
江ノ島から帰ってきたとき母が今日のお昼頃ねって
いって半ばうれしそうにちょっとした報告をしてくれた。

作品提出日の日はお手本とくびっぴきなので
全身が疲れ果てていて、母の伝言も半分、耳に掠めた
だけであとは忘れてしまっていた。

稽古の日はほんとうにへたれで困るなと思うのだけれど
字をみるのがいやでいやで、新聞を開いていても
目の前にあるそれはなにかの記号のように意味ではなくて
形やデザインとして、舞ってる感じがする。

唯一受け入れられるのは耳で。
ちょっと無防備な、拒む術を知らない耳は
わりかしいろいろな音を受け付けてくれる。

夜中までクールダウンできなくて、なんとなく夜だから
こういうのもいいかもしれないとなにげなく聞いていた
トランペットの音色。
濁った音が唸りながら耳に届いたときに、からだのどこかで
十字が交わるような感覚になってこれいいな好きって
なったと同時にとつぜん夕方の母の声がもどってきた。

その時、母も不可思議に思いながらも、印象はわるくなかった
ある出来事のその意味がとつぜんわたしはわかって、
夜中あぁわかった! ってちっちゃくさけんだ。

ずっとわからなくてわからなくてもどかしくてせつなくて
わかりたいわかりたいと願っていたときはなにもわからなくて
ずっと空白の席ばかりをつきつけられていた時間が長かったのに。
なにかが一瞬にしてわかるとほんとにからだのなかから悪いものが
浄化されてみえないものへと形を変えて気化してゆくようで
きもちがいい。

音にいざなわれてみちびかれたさきが、すっきりとすがすがしい
場所だったことにうれしくなった。
天井見上げてわかったって叫んだあとに、すらすらと浮かぶ思い。
たくさん数えきれないほどお世話になってほんとうに心より感謝しています。
すっかり元気になりましたって云いたい気持ちでいっぱいだった。

       
TOP