その一八三

 

 







 






 








 

なつかしい 昨日のかけら はつねつの空

じぐざぐとグラフの中の点と点を毎朝つなぐ行為。
体温を五分計る。
五分後にあらわれるのが、とりあえずのきょうのじぶん。
もう3年も続けてる朝の日課。
蛇腹式の体温表を巻紙のように伸ばしてみると、昨日のわたしの
点とさっき生まれたばかりのいますぐの点がずっとつらなって
てをつないでいる。

ずっとつながってるってほんとうは好みではないけれど
それがだれかじゃなくてじぶんであるとき
それはここまで生きていたねの証になるのかと
つらつらと眺める。

五線譜の上にならんだ音譜を想像して、それをつかのま
グラフに置き換えてみる。
すっごい短調の曲が思い浮かぶ。学生だった頃朝のミサの時に
歌わされていた退屈で仕方なかった、聖歌みたい。

みたいって思っていたら、みなれない点のつらなりが
日々ならぶようになって。
いけない病なのかもしれないと思うと、きりがなく。
朝が訪れるのがこわくなって、それでも日々のじぶんらしき
点を記録しなければならない。

なにかに集中してるのにあたまのすみにはあの点と点が
うねりながらこっちをじわじわせめてくるみたいで
おちつかない。

元気になったらちゃんとまわりの生き物をいまいじょうに
大切にしようとか、母への食事をもっとていねいに作ろうとか
ちょっとしたことでちぇって思わないとか
怒られた子供みたいに、たちまち反省モードになっていた。
そしてなぜかおじいちゃんの写真の前で見すかされていた
かもしれない日常のあれこれをこれからちゃんとするので、
いまをクリアできますようにと手をあわせてみたり。

あたふたしながら、夜眠る前に空を見上げる。
星が浮かんでる。遠くで鳴いている蝉の声が束になって聞こえる。
遠くの林で生きている命のエネルギーが夜のリズムで迫ってくる。

そのときふと、いつまでもいまのままではいられないしぼくだけじゃなく
あなただってとしをとってゆくんだからっていう
ほんとうにあたりまえの誰にも平等におとずれる時間のことを話していた
とある人のことばを思いだしていた。

思いだしていたんじゃなくて、わたしはずっとそのことをこの
何週間か思い続けていたことに気づいた。
そしてまったくもってまっとうなその言葉をなんどもこころの中で な
ぞってみる。
くりかえしているうちになんだか正しいことがわかったような気がしてくる。
いつだったか、じぶんが理解できた日をどこかの国では
セカンド・バースデイというんだと綴られていた文章を思いだして
そこにそっと重ねてみる。

なんだかほんとうにそうだと思う。
からだの変化はこころと比例していたことを教えてくれたあのグラフ。
こころ関係がぐんぐん空に近づきたくなるもんだから
からだ方面は駆け足で熱を帯びていた。
なにかがニュートラルになっていくときこころとからだは
ほんとうに不思議なリアクションをすることをはじめて知った。
カーテンを時折揺らすなまぬるい明け方の風の中、
今年の7月27日を密かに2ばんめの誕生日に
してしまおうといま思った。

       
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