その一九一

 

 




 







 





 

うわさだけ 残響してる とぎれるぶれす

いちにちの終わりかけ。
録画してあったビデオを見終わって、リモコンを
操作しようとした時いきなりテレビの画面が
いつもと違う色を見せた。

たぶん、ラテン系のCMソングの流れてる最中だったと思う。
ビールの缶のうえとしたがホワイトとゴールドになってる
ぼーだーらいんが、まざってひとつになった。
まわりの背景の色がしんでそのひとつになった色が
画面の中心に集まるように吸い込まれて、あとはなにも
みえなくなった。
まえぶれもなくこときれたかんじのテレビの画面は、
部屋いっぱいに沈黙をあふれさせていた。

スイッチを切ってる時のテレビと一見状態は同じなのに
あんなにだまりこくったただのでっかい箱
(まだあたらしいテレビに買い替えるのがもったいなくて
ずるずるつきあってるうちにこんなことに)の無言の
威圧感はちょっとすごかった。

その感じは、眠ってる人と死んでる人の違いとおなじぐらい
圧倒的な不在感にみちていた。

それでふと思った。あんなふうにあっけなくて前置きのない
人の死みたいなものがあったら、耐えられないかも
しれないと思ったのだ。
さっきまでふたりでいつもみたいにおしゃべりしていたのに
目の前にいる人がどこかに吸い込まれるように命の蔓が
ぷっつりと切れてしまったら、と。

ひとり置いていかれた感じを一瞬シミュレーションしながら
いやだいやだと思いつつ、はやめに就寝した。

翌朝ラジオをつける。
チューニングをステレオが勝手に合わせてくれる。
たちどまった周波数のところから嗄れた男の人の声がする。
耳を傾ける。
あぁあの長身の、黒ぶちの眼鏡の、老若男女すべての人に
むかって辛口の、いつも怒ってる風情のあの人だと顔が浮かぶ。
呼吸がスピーカーからもれ聞こえてくるその人の息遣いはなぜだか、
批判的な内容の話でさえ、とても、あたたかい感じがした。
テレビを観てる時、目だけが忙しなくて人の声は背景の
一部のようだけれど、
ラジオを聞いてる時の耳は、とても密やかに
なんとなく自分の身の丈にあってる感じがする。

テレビがこわれたのが昨日だったことが嘘のようで、
もういっしょう何も映さないその箱のままでいいよと
心変わりした。
ラジオの放つちょっとなんか足りないそんな物足りなさが、
とても好ましかった。
知っていたはずなのに、なにも知らなくて。
じぶんだけがその人のいちばんよいところを
知ってしまったみたいに、新鮮な気持ちだった。

でもそんな蜜月もそのいちにちで終わってしまった。
しんだと思っていたテレビが息を吹き返したのだ。
二人組の修理屋さんが土曜の午後やってきて、元通りに
画面に色が戻ってきた。
沈黙の色した場所が彩られてゆくと、たちまちわたしは
もういちど、心変わりして、ふたたび映像に見入った。
映像が動く。たちまち映像に負ける。
なにかをみることをいちにち空白にしていただけなのに、
遠くにいってしまったものをおかえりと迎えてる気分になっていた。
だしぬけに寿命を知らされて、しばらくしてリモコンのスイッチを切った。

ラジオからは夕べのままのFM局から知らない誰かの声が
聞こえてくる。耳が落ちついてゆく。
こんなに耳贔屓する訳を探って、ふにおちた。
きっとこれは声恋しい、せいなのだと。
そして夜になったら、親しい誰かと喉がからからになるぐらい
しゃべりたいなって思った。

       
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