その一九六

 

 






 







 







 

想うって 記憶にぎゅっと されてる感じ

ナムヤンっていう名前のソロミュージシャンがいることを
インタビュー雑誌で知った。
ナムは広東語で「想う」で、ヤンは「人」の意味らしい。
音もなんだかほがらかだし、そこに込められた意味も
あわせていい感じだなって想った。

ひとを想う。
あらためて彼の名を見て、ひとを想うかと、なんだか
はじめてじぶんに訪れた現象のようにふしぎなきもちで
眺めていた。

彼はべロタクシーという自転車で人を運ぶ仕事をしている
らしいのだけれど、彼の名前にふさわしい形で仕事に
関わっているんだなと聴いたこともない彼の曲をいつか
聴いてみたいと思った。

そんなページを読んでいる間、なぜだか思いだすひとりの
ひとがいた。

どの季節が巡っても、ビル郡の立ち並ぶそのはざまの道を
夕方あたり通ると、雑踏の中からやさしい音色が聞こえてくる。

何年も前からそこでフルートを吹いている盲目の男の人。
いつも彼の前で立ち止まることはないのだけれど
風にまかせて笛の音が耳に運ばれてくると
みしらぬひとひとひととのささいなまさつから一瞬逃れられて、
いらいらした気持ちがそこでリセットされて心地いい。

待っているわけじゃないけれど、夕方になると彼が
さわやかな装いで、そこでフルートを吹いていることが
あたりまえのことになってしまっているので
たまにみかけないと、今日はどうしたんだろうって
思ってしまうようになった。

はじめてその音を聴いた時、なんだかとてもせつない音色だった。
音のつぶつぶがいっきょにからだを駆け抜けると、どうしようもなく
ゆううつになる。
でも、いつからだろう、去年の夏ぐらいからかもしれない。
おなじ人おなじ曲、おなじ場所で聴く彼のフルートの音が
とてもちがったものに聞こえた。

地を這うような沈んだ音色が、いつからかを境にとたんに
華やいでいるみたいに聞こえた。
ひとりの人の演奏する音って、こんなにも光を浴びたみたいに
とつぜん華やかになってゆくんだということをはじめて知って、
思わずそこを通り過ぎる時に歩くスピードがいくぶんゆるんだ。

知り合いでもなんでもないのに、明るさを放ってる音に出逢って
うれしくなったのだ。
そしてすこしだけ親近感がわいた。

逢ったこともないナムヤンさんのひとを思うという名前が
フルートの彼にしずかに重なる。
ひとがひとを想う気持ち。
もしかしたらそういうことちょっとないがしろにしていたかも
しれないなって、かすかに耳に残ってる笛の音を思いだしながら
綴ってみました。

       
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