その二〇一

 

 






 







 









 

すきになる ひがないちにち こどくになりました

寒い日が続くと、南の島の映像だとか抜けるような
青い空だとか、日に灼けた肌をみているだけで
ちょっとぬくもった感じがする。

こないだ見ていたアマゾンのどこかの村の
体験ドキュメンタリー型の番組を夜の片づけものを
しながら見ていた。

ひとなつっこい彼等がはじめての日本語に興味を持って、
レポーターの女の人のいう言葉を側で鸚鵡返しにつぶやく。

ひとりぐらし。あさごはん。すごいね。しんじられない。

とても発音がよくて、ひとこと発する度に笑顔で
応えるその表情が、あたたかい。
ひとがひとの発することばにおもしろがる場面って
こんなにきらきらと楽しそうなものなんだと
あらためて、すいこまれてゆくはじめての彼等にとっての
ことばを、なんだかじぶんにとっても異国のことばの
ように眺めていた。

村で農作業など一仕事終えたあとみんなで朝御飯を
とってる時に、家族全員で食べるとにぎやかでおいしいねと
レポーターが言う。
村のひとりの若い男の人に、あなたは誰と食べるの朝ごはんって
訊ねられて、わたしは一人暮らしだから誰かといっしょじゃないから
ちょっとこどくだよと、明るく彼に話した。

彼はひとりかふ〜ん、ひとりなんかで食事したことないから
わからないと言い、ところでこどくって何?
って通訳の人に聞き返していた。

こどくって何? ってまだ見ぬものを手探りで掴もうとしている
姿におどろいた。
こどくをそれなりに通訳の人に訳された彼は、まだわからない
みたいなふにおちない顔をした後、あぁひとがしんだときとかの
あの感じかな?
って言ってはんぶん納得した真っ平らな表情をした。

こどくの感情がつかめないという現実がとても新鮮で
番組を見終わった後もいつまでも印象的な会話として
耳の中に残っていた。

でもコドクってあらためて思うと、なんなんだろうと
アマゾンのとある村の人のようにきょとんとしてしまう
ところもある。 時折、身勝手にかなしがったりこどくぶったりするけど、
でも心の底ではそうとうあやしいものだ。
いつだったか「さびしい?」って訊ねられて
その声のかたちがだしぬけであまりにも呟くようだったので
じぶんのこころの輪郭がふいにはっきりしたことがあった。

いまもたまに、その人をみかける度に何十何万の言葉を発しただろう
あの人のあの口があのひあのときさびしい?
と訊ねたんだなと思うと、あらためてふしぎな気持ちになる。

なにじんでもなにごでもなく、おとなでもこどもでも
おんなでもおとこでもわかいでもとしよりでもなく
あかるいくらいでもなんでもないような
ただひととしてそこにいることのしあわせを
アマゾンで暮らす家族のなかにみたような気がしています。

       
TOP