その二〇五

 

 






 






 









 

熱かった 傘の柄のこと ポケットの雨

市場で買い物をして、あとなんだっけ
ケチャップとマヨネーズって思ってた時
ふいに頭の上から<駅>が流れてきた。

むかしむかし聞いていて好きだった曲だった。
その頃歌っていた女性のボーカルもよかったけど
いまは、その同じ歌を大好きだった男の人の声が
歌ってる。

いつもよく目にしていた彼が着ていたレインコートを彼を
失ってから再びとある駅でふいにみかけて、こころが
立ち止まれなくなるっていう意味の歌詞をひさしぶり聞いて、
なんかふるえた。

あまりに場違いな場所で聞く歌っていうのは
ふさわしい場所で聞くそれよりももっと
こころに迫ってくるものがあるんだと、なんかせりあがって
来る気持ちみたいなものにこらえようと必死になっていた。

こういう時、わたしはしゃがみたくなるのだ。
へなへなになって、泣きそうになる。
いつか、琴線にふれるとこんな感じになりますって云ったら
思いっきり不思議がられたことがあって、そうかみんなは
そんなにへなへなになったりしないのだな、つつしもうと
反省したことがある。

なんかふるえたって発作的に記してしまったけれど、
なにがどうふるえるんだろうと思う。
たぶん、耳馴染みのよかったメロディの記憶が、またむかしの
ように耳を通ってあとのルートはよくわからないけれど、
どこかへたどり着いてゆくときの懐かしさのふるえなのかなと。

あの歌が流行っていた高校生ぐらいの頃はその歌詞を
まだ未知の思いに対して、あこがれと感傷でもって
聞いていたのだと思うけれど、もう気が遠くなるぐらい
時間が経ってみて、ほんとうにぼんやりとした日々を
送ってきたせいか、いまでもそんな感覚が未然のもの
としてしか捕らえられない。

人をほんとうに好きになるってのは難しいことで。
けしの実ぐらいのちいささなささやかな出来事なのかもしれない。

といいつつ、耳の中を彼の歌う嗄れた声が掠めてゆくそのあわいに
ひとりのひとの背中が雑踏を歩いている映像が、
こわれたフィルムみたいにいつまでも映ったまま止まってる。

煙草の煙りがくゆり、聞こえてくる空咳の音。
なんだか、ほんとうのことってつくづくうそっぽくて記憶がふるえた。

       
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