その二一二

 

 






 







 







 

ペン先で きずつけたくなる うすあおい玻璃

土の匂いにまみれて、ささやかな庭の手入れにちからを入れ過ぎた
きのうの日曜日のせいで、きょうはからだがぼんやりしてるなって
感じの月曜日です。

誰かがぼんやりしているところをみかけたら、けっこう困ってしまう
ものなのだとこの間気づきました。
みてはいけないものふれてはいけないものにふれたような
据わりの悪さみたいなものに絡めとられてしまった感じがしたのです。

今日の語尾はなんか変ですね。
です、ます。ですですますますがじぶんの中から抜けきらなくて。
これもきっときのうの庭のせいだと思います。
病葉をとりのぞいて、雑草をひきぬいて、クリスマスローズを短く
整えて、やわらかくゆれている百合の葉をふまないように
手をのばして、ハンギングポットの位置を変えたりしていただけ
なのに、なんだか意識とか記憶とか思いとかぜんぶが土の中に
吸い込まれていったみたいに、ちょっと今はぬけがらになってます。

つい最近のことでした。
デパ地下のエスカレーターの側のベンチの置いてあるところで、
ひとりの太ったおばさんが、氷のたくさん入ったジュースを
一気に飲んで飲み終えた後、ふと息をもらすように
さびしいって云ったのを聞いてしまいました。
耳を疑うって行為をあまり日常ではしなかったのですが、
その時その場所でわたしはじぶんの耳を疑っていました。
たぶんおいしい!の空耳かもしれないと。
喉の乾きを潤したあとのさびしいはちょっとだしぬけすぎて
いつまでもその言葉のトーンが耳の中に残ったままでした。

なにげなく書類の整理などをしていたら、なつかしい手紙もいっしょに
手に取ってしまって、お洗濯の合間をぬってしゃがんで読んでいました。
昔住んでいた宛名が万年筆のブルーブラックの太い文字で刻まれています。
本文はワープロの文字が並んでいるだけなのに、はげましと笑いと
希望にみちた文面を目にしていると、いまその方にはげまされている
ような気持ちになりました。
同時にこの10年間近い間の空白を思って、ひどくせつなくなりました。
そこに綴られていたたいせつなお友達の名前を目にしたせつな、
まっしろい便せんを前にしながら所在なげな気持ちのまま、今日
こんなことがありましたと手紙をいつも書きたくなるときを
たくさんのみこんで来たような気がして。
このままずっと、あのひをとじこめたままぼんやりしてしまいたく
なりました。

あやうくてやっかいで、なんだかしらばっくれたくなりました。
これもきっとあの庭のせいだと思うことにして。

       
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