その二二一

 

 





 







 








 

すきだった 呼吸の色に 邂逅してる

モノクロームのものにひかれる。
ふだんはたぶんすべてのものが
どんなに彩色されていても
モノクロームなんだろうと思う。
心情的には。

なにかを思い出す時に色がなかなか
でてこない。
かたちはすっと浮かんでくるというのに。
たぶんいろおんちなのかもしれない。

何色の靴を履いていて、何色の
ネクタイをしていて、なにいろの
シャツを着ていて、何色のペンを
持っていたのかとか。

森山大道氏のことばがいいなって思って
おもわず書き留めていた。
<白黒というのは、前後の記憶が関わって
いる気がするし、撮った今とつながる
過去も、今の後に来る未来も両方の
時間がみえる気がする>って
おっしゃっていた。

いちど記憶の中に留め置かれた
色はどんなカラフルな色も
いったんモノクロにもどって
なにかの拍子に、その色がもどって
くるものなのかもしれない。

例えば心が動いた時とかに。
あ! でもいいし、っ!でも
いいけれど、すごいってじぶんの
なかの針が微妙にゆれるとき
出会った人によって、景色に色が
にじんでゆく経験を思い出す。

ぼんやりみていたかたちのそばに
寄り添っている色がしだいに
層を重ねながら色として眼に映る、
幸福の瞬間。

あざやかに空の下で発色している
みどりやおれんじや焦げ茶色は
時が流れて置き去りにされた後
どこかで邂逅した時にふたたび
鮮やかな色としてとびこんでくる。
はじめからここにいましたと
いわんばかりに。

なにげなかった日常に/が入って
こっちとあっちをわけてゆくときの
こころがゆさぶられる思いに
どうしてもかられてしまう。
そんな仕方のない季節のまんなかに
いるこのごろです。

       
TOP