その二二二

 

 




 








 









 

闇を縫う 八月の夜 さがしあぐねて

むかしむかし、橋の上で人と
思いがけなく会ったことがある。
京都のたぶん七条の橋の上。

週に何度か夜間、通っていた広告の
専門学校が京都にあって、どういう
いきさつか忘れてしまったけれど
その帰りをその人はまるで
保護者のように待ってくれていたのだ。

もうずいぶんむかしなのでいまの
京都はどんな感じがわからない
けれど、そのあたりは十時過ぎ
ぐらいでも、すこし暗かった。

ちゃんと闇が生きてる場所なんなんだな
って町を歩きながら思ったことがある。
大阪のネオンぎらぎらの世界に慣れていた
せいか、あのほの暗さが新鮮だった。

橋のはじまりを歩き始めた時、
橋のまんなかあたりにぼんやりと人影を
みつけて、その輪郭は見覚えのある
なじんだ影だったので、すこし小走りで
近づいた。

やっぱりそうだったんだと顔をみて
びっくりしたせつな安心したときに、
ふいにひととひとの距離が縮まる時っ
ていうのを体感した。

うすぐらくてまっすぐな橋の上は
いつまでもどこまでも歩ける気がした。
夜という感覚までも失ってとにかく
このままずっと歩ける感じが、
しゃがみたくなるぐらいうれしくて、
ひたすらふたりで歩いた。
そのときの会話のこともすっかり忘れて
しまったけれど、足がいっぽずつ前に
すすむってことじたいが、たのしくて仕方
ないって感じがしていたことを覚えてる。
トラックや車のヘッドライトが、あたりを
照らしてゆくあかりも、ストロボみたいで
きもちがはなやいだ。

いつまでも。と どこまでも。
このふたつがまじりあう感情の瞬間が
やってくるときの高揚感は、なにものにも
代え難いんだろうと思う。

あの橋はわたしたちがいなくなっても
ずっとあることを思って、ふいに真夏の
夜の風が吹き抜けたように安堵する。

あのときみたいにいま、京都まで
飛んで行って、あの橋の上を歩いてみたい。
そんな夜の散歩にうつつをぬかしてみたい。

       
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