その二三〇

 

 





 





 
















 

いたずらに 闇のすきまに 香りが鳴るよ

母とふたりでタンゴを見に行きたくなるのは
きまってこの季節。
真夏には欲しなかったのになぜか秋の終わり
あたりぐらいからむしょうに見に行きたくなるのだ。

母から行こうよって誘われたのはたぶんわたしが
中学生の頃だったと思うけれど、その頃は
あまり正直好きになれなかった。
これが終わったらビートを刻んだ感じの音を
はやく耳に入れたいなって速度にまみれたい思いに
駆られたことをすこしだけ苦く思い出す。
今はすっかり母とおなじぐらい好きになっている。

<カルロス・パソ楽団>をはじめてのバルコニー席
から眺めてる。
少し屈めた背中で、パートナーにささやくように
つつみこむようにして踊る、少し年老いたダンサー。

フロアをなめらかなステップですべるその奇跡が
ずっとそこに途切れないままあるようで、
曲が終わったあとも、残像のように感じてしまう。

きらきらと未来の時間がたっぷりありそうな人よりも、
もうすこし背中の後ろっかわに過去の時間を
たくさん携えている人のほうがむかしからすきなせいか、
彼の踊りばかりを眼で追う。

パートナーとはたぶん二十歳ぐらいは年の差がありそうな
ダンサーなのだけれど、彼の踊りは彼女の青いたどたどしさを
やさしく、ゆるしながらリードしてゆく。
男らしいのだけれど、男くささをゆるやかに排除しながら。

第二部の<心の底から>っていう曲の時だったと思う。
ふたりで踊るそのダンサーのふれるかふれないかの
やさしさでパートナーの背中にふれているような
手のかたちをみていたら、なんだか彼は
ひとりきりで踊っているように
みえてしまったのだ。
もうそこにいないのに、かつてはいたひとを想って
なめらかなステップを踏んでいるような。

そして、彼のタンゴはやっぱり踊りそのものが
まぎれもない時間のかたまりなんだなって思った。
踵を鳴らしてひとつターンを終える度に
ちくたくと時間が過ぎてゆくのが眼にみえる。
そして、その時間の中に彼のむかしの時間が
たわわに実っていることを目撃して、
わたしは椅子の上にいたのに、こころの中で
しゃがんでしまいたくなるぐらい、好きだなって思った。

ふんぎりの悪いわたしは彼の踊りをみたせいで
ここ何日かは、ふっくらとした気持ちで過ごせそうな
ことに、わけもなくうれしくなっていた。

       
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