その二三六

 

 






 






 

















 

はつゆめは 空の彼方に 虹をかかえて

あたらしい年になったんだな
もう去年からいつしかバトンが
渡されているんだなって感じるのは
手帳をひらくときかなと思う。

きもちはあたらしいのだけれど
個人的になんとなくまだどこかに
去年の2008年がそこにいるいかんじで
ちゃんとさようならできてない感じも
するのですが、これも年のせいかななんて
思うこのごろです。

まだぴかぴかの手帳のしろいページに
すこしずつブルーブラックの文字が記されて
妙な距離感とよそよそしさでもって
なにかしら書き付けてると、あ、こんにちは
どうもあけましておめでとうって感じに
すこしずつ気分がふくらんでくる。

ステーショナーリーの集まったお店で
あれこれみていたとき、先に買い物をすませた
友人が、これあげるよってモレスキンのノートを
今買ったばかりのビニルふくろをびりびりと破って
わたしにくれた。

このサイズいいよ、使いやすいからどうぞって
なにげなく渡してくれた、木肌の内側のような
あわい茶色のノートがテーブルの上にある。

メモ帳のように使おうかなって思っているので
まだ、すこしもったいなくてなにも記していないけれど
こうやってあたらしいものが、身の回りにそろうのは
なんだかいいなって思う。

去年の暮れに父が贈ってくれた本を置いてながめていた。
3冊のうち二冊は父のすきなセザンヌと州之内徹に
ついて書かれた本。
もう一冊が父のセレクトとしては意外だったけれど
うれしい一冊だった。
「向田邦子暮らしの愉しみ」。
彼女の脚本や小説の世界が好きでしたと父の文字で
綴られている手紙を読んでいた。
わたしも大好きだった向田ドラマを父もすきだったことを
今知って、ふいにわたしは父とあまりちゃんとこういう
話をしてこなかったんだなって思った。

ことしはちゃんとゆっくり飲みましょうっていう
父の言葉もすなおにそうだなって思えた。
思えば遠回りばかりしていた父と娘の関係だったけれど
日々という日々があったおかげで、いま血のつながりを
意識できるじぶんにおどろいている。

本を贈ってくれるようになって九年になるのだけれど
共に暮らしていた頃よりも、そこに存在する本を通して
父のすがたがいまそばにいるように感じられる。

そういえば、お正月の愉しみは新春の向田ドラマだったので
さびしい。でも遠くに住むみじかな人が向田邦子や
久世光彦のつくる世界がすきだとしってちゃんと
家族のことを思う年にしたいなって思った。

今年もどうぞうたたね日記2009をよろしくお願い
申し上げます。
おてすきの折りにでも遊びにいらしてくださったら
幸いです。
みなさまに思いがけない幸運が降り注ぎますように・・・。

       
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