その二四〇

 

 






 








 



















 

ぴちぱちと 火の花びらが 記憶に刺さる

10月のまんなかあたりと12月のはじめぐらいに
ルポライターの上原隆さんとお目にかかった。
以前、上原さんが書評の中で歌人の穂村弘さんの著書
「短歌の友人」に掲載されていたわたしの短歌を
引用してくださったことが、きっかけになって
お話きかせてくだいませんかというメールを頂いた。


はじめのて歌集「ゼロ・ゼロ・ゼロ」の中には、
イニシャルで登場する男の人がいるのだけれど
歌と歌の中の出来事が少しリンクしているところが
あったら、Tさんとの思い出を聞かせてくださいという
お話だった。

よくよく考えてみると、もう20年近く前に好きだった
人のことをあらためて時系列を追って思い出すって、
ただぼんやりと思うってこととは違って、
その時、言葉を放った時の気持ちやいろんななぜ? を
手繰り寄せながら、ちゃんと立ち止まってかみしめる
行為なんだなぁと、あとあとになって気づいた。

日記を繙き、写真を引っ張りだしたりしてるうちに
じぶんの甘さと残酷さがにじんでくるような
誰の物語なんだろうこれはっていう気持ちにも
なってきて、じぶんの感情になんども翻弄されたりした。

二度お目にかかっている間、上原さんとわたしの間には
いつもあの頃のTさんともいっしょにいたようななんとも
いえないふしぎな時間だった。

ひもを引っ張ると、どこかの国の旗がくっついてきて
もうすこしひもを引っ張り続けてると見えなかったはずの
万国旗がどんどんくっついてきってっていう、古い手品を
思い出す。

せつなさもぎゅっとされたような想いも取り返しの
つかなさもすべてひっくるめて、忘れていたどこに
しまってあったんだろう、こんな記憶っていうものが、
ちっちゃくつながりながら出て来ることに驚きながら。

上原さんの聞いてくださるときのたたずまいの静やかさと
問いかけや反芻する言葉の鋭さに時折たじたじしつつも、
現在の時間にありながら、からだは過去へ過去へと
ひきずりこまれてゆく、ちょっとこういう機会がないと
できないなっていうぐらいかけがえのないひとときだった。

それじゃ、これで終わりますねと上原さんがおっしゃって
テレコのスイッチを押して、しばらくしたとき、あ、って
思った。
かつて大好きだった人と別れて、途方もないぐらいの時間が
経つということは、ずいぶん遠い所まで来てしまったんだな
って感覚になるんだということをはじめて知った、瞬間だった。

       
TOP