その二六八

 

 






 







 





























 

まぼろしの ほうようですか たそがれるねこ

たぶんまだ慣れていないんだと思う。
あたらしい手帳とじぶんとの距離が
すこしよそよそしい。

なじむって、なんだかむずかしい。
なじんでしまえば、なじめなかったころの
ことなんかすっかり忘れてしまっているのに。

暖房機のリモコンを入れる前の部屋のつめたさには
そろそろなじみだしたし。
手袋の内側のつめたさや、ロングブーツの思いがけない
あたたかさなどにも。

でも、この間気がついたのだけれど、なにかに感動して
しゃがみたくなったとき、わたしのからだはしゅんと
つめたくなった。
熱を放とうとした。
どきどきすると、寒くなる。
そのせつなびっくりする。
あたらしい思いに心地よくひきずられようとするところに、
ちゃんと冷却装置がはたらくところに。

折れ曲がったり、色褪せたり、サンカクに隅が切れたり
している新聞の切り抜きが、手帳の中からはらはらと
おちてきた。

そこに書いてある言葉に出会う。
去年もであって、そのことが気になっていたことを
とたんに思い出す。

<あることを考える時、実際はいつもほかのことを
考えてる。ほかのことを考えずになにかを考えることは
できない>

そうなのかもしれないと思って。この文章に出会うと
安心するのだ。
まゆのなかだとか洞窟の中の船の中の住人のように
安堵する。
物事にピンポイントで、視点が合うことなどないのかも
しれないなと、思いつつ。

辺りでくゆる煙のようなもやのようなものを発見してから
徐々に、コアにちかづいてゆく。
たどりつきたかった場所をさまよいながら、
観ているものの視点をあちこちへと散らしながら。

あたらしいひと。あたらしいもの。あたらしいできごと。
と、感じる時。
あたらしいのなかには、ちゃんとじかんをくぐりぬけた
ずっとむかしのものもはいっていて。
まだみえないだけで、そのずっと先にはなじんだ時間が
待っているのかもしれない。

くたくたになったタオルケットや、いつも呼んでる名前や
駅までの道や、むかし聞いた曲や、小津監督を観て思い出した
祖父のことや。

かつてあたらしかった出会いがじぶんにおとずれて
こんなふうに、なつかしくなったのだと思った。

さっき半紙にかいていた今月のお手本「きらめく流星」。
墨色の仮名が、かわいたままフローリングの上で、
エアコンの風にゆれていた。
墨がかわくと、たちまちなじみの色や文字にみえてくる
からふしぎだった。

       
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