その二七〇

 

 






 






 





























 

にじむひと にじむばしょ 彼方かなたに

ちいさな桃色の小皿に水を入れて、ちいさな
池をつくる。
その上に、すこし濃いめの墨を垂らして
淡墨をつくる。

半紙の上にたっぷりと墨をつけた筆を
しずませると、思いがけないにじみが
うまれる。

この思いがけないって感覚の中には
たっぷりと時間が内包されていて、
次の日あたりにゆうべ書いた書をみてみると、
紙のあちこちに墨色のりんかくが
あざみのようなぎざぎざを刻んでることが
ある。

筆が紙を離れるまでのひととき。
ゆらいでいるときは、思いのほか、長い間
筆をとどまらせているし、逸るときは、
足早に筆先を次の一画へといそいでたどりつこう
としているのがわかる。

4月に円覚寺でわたしの通っている書道教室の
門下生たちの作品展を控えているので
日々、墨のにおいにまみれてくらしている。

そんなある日。
おけいこに江ノ島までゆくと、いちど教室で
お目にかかったことのある、歌舞伎役者の
Kさんがいらっしゃった。

その日は、リレーで俳句をつくって
半紙に書きましょうっていうワークショップを
することになった。

向かいにいらっしゃるKさんと同じチームになった。
テーマはお金だったのだけれど。なんとなくわたしは
はじめに、<すきまから>って書いてみた。

にこやかにせぼねをまっすぐにしてしせいのよさが
すてきなKさんは、かんがえあぐねた末
<わらいこぼれる>って半紙に筆を運んだ。

<すきまから わらいこぼれる>ってとちゅうまで
俳句ができあがったとき、Kさんははにかみながら
ほほえんでいらっしゃった。
はじめのことばをうけとめて、つぎにまたことばを
つないでゆく。なんてことはないのだけれど、
いつもいっしょにいないひとと、このひとときだけは
ことばとことばがつながってゆくことは
ふしぎなよろこびに満ちていることにきづく。

半紙のうえで、にじむばしょ。にじまないばしょ。
墨がそめたばしょ。そめなかったばしょ。
筆のきざんだかたち。きざみとむえんのばしょ。

リレー575という遊びはいちまいの半紙のなかで
なければ、であわなかったことばとことばが
邂逅する場所なんだと思う。

その夜、すこし眠ってからふと目が覚めた時
外を見ると、ぼたんゆきが降っていた。
隣の家の屋根がふっくらと雪をかぶっている。
目に写る目映いしろいせかいに、ふと気にいった頃合いの
淡墨を、ひたひたとこぼしてみたい衝動にかられていた。

       
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