その二七二

 

 





 








 






 























 

いっぴきに つかまってしまう 迷路の出口

夜中、オレンジ色のゆたんぽを胸に抱えて
階段をおしまいまで上りきると
フロアの向こうに、ちいさな路地がある。
2月まではなかった小道が、いまは
そこにある。

少し細い道を進んで歩いてゆくと、陽のひかりが
道を濡らしている。
だれかふたりだけのひとがそこで立ち話を
している影だけがコンクリートの
壁に映されている。

異国の人々が暮らす家並みのフェンスから
こぼれて咲く薄紫の花びら。
その花の名にちなんでここは「リラ通り」と
呼ばれているらしい。

もう3年ぐらい前から、階段の上には
母のひいきにしている洋服屋さんの
カレンダーをかけることにしている。
SEIHASHIMOTOさんというサインが薄く
絵のすみっこに描かれているだけで
どんな人なのかわたしは存じ上げないのだけれど。

いろんなパリの通りが描かれていて、その視線は
旅行者というよりも生活者が放つよそゆきじゃない
ところがとても好きで、目にするたびに、
時間がからだまるごとそこにとんでいっている感じに
染まってゆく。

夜のせいなのか。
この3月のカレンダーの絵のせいなのかわからない
けれど、
ふいにどこか知らない現実の道のどこかに
迷いこんだ気持ちになる。

ゆきどまりの壁にかけられているはずなのに
そこから路地がつづいているような
たしかな錯覚が、貧血ぎみの頭にじんじんと響いてきて、
夜がおだやかに過ごせる感じがする。

そのリラ通りは、ゆるやかな坂道になっているように
描かれているので、足取りもかるくつま先から
とんとんとはねるようにおりてゆける感覚も
いっしょにつれてきてくれる。

たぶんこの絵と対峙しているときのかすかに
迷ってる感じが、心地いいのかもしれない。
この道に迷いながら、今日の自分にも迷っている夜を
瞬間的に重ねてゆくと、きっとそこから
じぶんをちゃんと脱いでゆくことができる
開放感にみたされるんだと思う。

どこのだれでもないじぶんですらない瞬間を
リラとミモザの黄色がフェンス越しに降り注ぐ
リラ通りの絵の中にみつけた。
あの路地をひたすら歩き続けたいような気持ちに
駆られるのは、ちゃんとじぶんを見失う時間に
もしかしたら憧れているからかもしれない。

思いがけない、迷路がすきな体質なのだと
あらためて思う、春の家。

       
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