その二七四

 

 





 





 









 























 

春の字を ばらしてもいい? 列車の窓に

なんでかわからないけれど、いま
遠い気持ちってことばが浮かんで来て
春はやっかいだななんて思ってる。

車窓を桜の木々が駈けぬけてゆく。
なかば、凶暴なかんじで桜は、電車の
窓のかたちに切り取られてゆく。

なにをしゃべっていいのかわからないから
中吊りをみたりするけれど、やはり
視線は窓の外にあずけたままにして。

いまみた景色のことを話そうかどうか
迷っているうちに、もうそれは昨日の
出来事のようにそこから過ぎ去ってゆく。

もうそれはたぶん、葉桜になる速さで
窓のフレームからきちんと消える。
だいたい、あの長方形にちかい枠の
中に映る情報は瞬時にしては、多すぎる。
ちょっと饒舌すぎるのかもしれない。

わたしたちは黙っているというのに
こんなにも景色はさわがしいことが
とても不釣り合いのような気がして
すこしわたしも口を開いて喋る。

この間見た映画の台詞が大船あたりで
うかんできて、いちど沈める。
水の中で風船を押さえつけようとするのに、
すぐにうかんできて
連結しているあたりのドアが
いま暴力的にふるえてくれたらいいのに
なんて思ってる。

<母親がすることすべてに子供のこころは
傷つくものなのよ>

<どの過ちを子供達が忘れてくれ、どの過ちを
母親の亡き後も憶えているか>

リフレインなんてしたくないのに、いくつかの
幼い頃のエピソードがじぶんの中に、
わきあがってくる。生々しい母と娘だった
思春期の頃、そんなずいぶん昔がたちまち甦ってきて、
すこしだけかき消したくなる。

いまわたしがいっしょに暮らしている母と
その頃の母はおなじようでちがう。
たぶん母はわたしの母であったことをあまり
思い出したくないような気がしていて、
そのことにわたしはどこかしら申し訳なく思う。

あっちにあったものをこっちに引き寄せてしまって
それをまたあっちに置いてくるのには、
多少の時間がかかってしまうものなのだ。

それを、窓の外の風景の中に置き去りにしてゆく
ことにする。すこしずつじわりじわりと、距離を
こしらえるのに、走っている電車がきっと
ふさわしいんだと思う。
記憶を車窓の外へ放ってからもしばらくは
どこからともなくそれはやってきて
あたりににじんでいる。

ここにある遠い気持ちは、車両の中に居る
じぶんだけのものじゃないふりをして、
つり革の輪っかの空っぽのなかにとじこめて
おきたくなる。

       
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