その二八二

 

 






 







 












 























 

青い水 ゆらさないように こぼさないように

乃木坂でやっているルーシー・リー展を
みにいった。
いまこころのなかにうずまいているものは
いろいろあるのだけれど、そのうずまきの
はじまりがどこでおわりがどこなのか
わからない。

器っていうよりまぎれもなくうつわで。
ガラスケースの中でくらしていなかったとして、
むきだしのままそこにあったとしても
きっと触れられないほど、あやういひかりを
放っている。

細いエッジの上にすあしで、なんとか立って
両手を天秤にしながらバランスをとって
エッジのはしっこまで妙なリズムでとんとんと
歩んでゆく。

小走りのようなふみしめているような感覚で。
でもそのからだが、どこか地面に崩れてしまう
ことのないゆるぎなさ。

ボウルのなかにあらわれた、溶岩のようなちいさな
気泡をもった草原色の凹と凸の肌。
そんなうつわをじっとみていると、空のどこか彼方から
ふいにおりてきてしまったいん石のようにも
みえてきてしまう。

うつわ。うつわ。
うつわであることをなかば、忘れたように
ガラスケースの中の宇宙に目を奪われてしまう。

ひそやかな口縁、うつわのからだはどこまでも
薄くて脆さにつつまれているのに、ちゃんと
地面をふみしめている足。
どこかで均衡をやわらかく拒んでいるような
このゆらぎってなんだろうと思いつつ。

かつて彼女のことの評伝のようなものを
読んでいて、すこしだけ興味深いことが
記されていた。

物質の粒子にも一種の波が伴っていることを
発見した恋人だったオーストリアの
理論物理学者シュレーディンガー。

彼の発見した波のゆらぎは、彼女のうつわに
とても影響をあたえたらしいというエピソードを
ふいに思い出す。

手のかたちやゆびの後をどこかに秘めている
ルーシー・リーのうつわ。
色も形もどこか鋭い緊張感に包まれているのに
両手でてのひらをこしらえて、そこに水を
すくったときのような、とても太古を思い描いて
しまう。

あのうつわが携えているゆらぎはたぶん、
みているひとたちにしずかに伝わり染まり、
こころのなかにつかのまくずおれる瞬間を
生んでしまうものなのかもしれない。

みえなくなってしまうと、とたんに大事なものを
なくしたようなそんな気持ちになるから
なんどもなんどもふりかえったりたちもどったり
して、フロアを後にした。

       
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