その二八三

 

 






 







 













 























 

何もかも ってうそぶいて 蛇口をつけて

ときおり気がむいたときに ふらっと立ち寄る
ギャラリーから いちまいのポストカードが届いた。
ぽってりとした石を横に切ったような 半円状の
てっぺんから 蛇口がでている写真。

村角創一さんという写真家の方の写真展のおしらせ
だった。
はじめそのハガキを手にしたときか なんだか
よく知っていて 知り過ぎていたはずなのに
ずっとながいあいだ 放置したままのものと
邂逅したような きぶんで むねがこんがらがる。

ちょうど あめがぽつりぽつりとふっている
土曜日の午後 おとずれてみた。

写真展のタイトルは <獺祭>。
かわうそが その日獲ったえものの魚を
川岸にならべるっていう あの故事になぞらえて
ネーミングされていた。

そう思うと フロアには蛇口をはじめとする ガ
ラスやさびているものたちの しずかな写真が
ほどよく レイアウトされていて
すこしユーモラスな趣きも 添えられている。

つい今しがただれかが つかったあとなのか
蛇口の口からとそのつらなりに おちてしまう
まえの ひとしずく。
これは 郡上八幡の蛇口らしい。

赤や黄色のぺんきの塗られた ブエノスアイレスの
消火栓など 色やアングルの切り取り方が
びしびしっと こころにやきつけられる
感じがする。

蛇口って こんなたたずまいっだった? って
おもわせるほど 無防備でうつくしくて。

緩慢な視線の追いかけ方では 得られない
被写体は このうえなく あられもなく 
さらしている。
その風情に みとれてしまった。

もともと静物は だいすきなのだけれど
あまりにそっちが静かだと こっちが むだに
ことばかずが ふえてきそうなぐらい
素通りできない ひかりを放っていた
蛇口やその仲間の写真のかずかず。

きっとこれらの被写体は 被写体なんだけれど
村角さんにとっての れっきとした獲物なんだなって
あらためておもった。
ほんきで視線でねらった獲物。 
ほんきでねらわれてしまった獲物は。
まっとうに凛としているものなんだな。って
よけいなことまで うずまいてしまう。

レバーをひねったら ちりちりとでてきそうな
水のしずく。
しずくもしたたっていないのに しずくのことを
想ってしまうような。蛇口のかたち。

ギャラリーをでたあとは あめがやんでいた。
気候のせいなのかもしれない けれど
むしょうに のどがかわいて どこかお店に
入ろうかなっておもったとき。

あたまのなかを くろびかりする蛇口の写真が
残っていて。
あの蛇口から でてくるみずを じかにのどや
舌でうけとめたいなっていう 衝動にかられた。

こどものころ 弟がのどがかわくたびに
それをしていた。すこし うらやましかった
蛇口から水をのむ行為を 思い出す。

しなかったんだっけ。
ほんとうはしたのかもしれない。
おとなの目をぬすんで こっそりと。
そのときのあじを おぼえてたらよかったのに。
いま のんでみたいのは そのときの
蛇口からの みずのようなきがして
また わけもなく なにかがこんがらがった
きぶんだった。

       
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