その二八五

 

 





 





 












 























 

オメガの しっぽゆらゆら 東へ西へ

18日までやっていたアラーキーさんの
写真展「センチメンタルな旅 春の旅」。
ずっといっしょに暮らして来たアラーキーさんの
愛猫 チロちゃんの写真を見ておきたかったけれど
いけなかった。

チロちゃんがことしの3月2日に22歳で大往生
したらしいって話をどこかのテレビで聞いてから
しばらくは あぁチロちゃんはもういないんだなって
じぶんの猫じゃないのに、なんだかひとしきり
ぽっかりとした不在感を憶えていた。

ずっと以前、もうなかばことあるごとにバイブルのように
ページを開いては、いろんな感情がさらわれていった
「センチメンタルな旅 冬の旅」。

あの写真集とひどく親しんでいたのは、一人暮らしを
していた頃で、黒猫の迷い猫が、微妙なじかんを経て
じぶんのうちの猫に、なりかかった頃だったと思う。

ソファに寝そべってるアラーキーさんの足の間を
ベッドにしているチロちゃんの側には
ソファを背もたれにしてテレビをみている奥さんの
陽子さん。
陽子さんにシャワーしてもらって、もう線の
ようなあられもない姿になってしまった、
ジャコメッティーチロちゃん。
重い病を患われて、陽子さんが入院していた病院から
電話をもらったとき、新聞紙の上にたたずんで
そっとしずかに窓の外をみているチロちゃん。

どの写真も、よしみにしていたような錯覚を持って
甦ってくる。
まだ元気でアラーキーさんと暮らしていた頃の
チロちゃんがなんだかなつかしい。

なつかしくなるのは、どこかでチロちゃんと
うちの猫クロンが重なってしまうからかも
しれない。

9年前にクロンが死んでしまったときも、しばらくは
寂寥感でいっぱいだったけれども、ふと浮かんだのは
アラーキーさんちのチロちゃんはまだ元気だから
だいじょうぶだなっていう感情だった。

写真集の中で逢っただけなのに、とても鮮烈な
出会い方をしてしまったチロちゃんだったから
その存在がこころに焼き付いてしまった。

いつだったかアラーキーさんが猫だけどね猫じゃないのよ
っておっしゃっていた。
その感じとてもわかるなって思った。
わたしのなかで、クロンは猫だけど猫じゃない。
そんな証拠らしき出来事が夢の中にあって。
朝起きると、夢の中にクロンがでてきていたなって
思うのだけれど、でもよくよく思い出してみると
その姿をみた覚えはない。

でもクロンだなって確信があるのはその夢の中で
ある人格(猫格)をもったりんかくの誰かが
登場している、その人物に姿をかえた人こそが
クロンだったんだって思う瞬間に気づいたことがあった。

まぎれもない猫なんだけれど、長い年月暮らしてゆくと、
彼はちゃんと猫格をもって形作られてゆくんだなと、
人間であるわたしは思ってしまうのだ。

朝日新聞に紹介されていた今回の写真展の
アラーキーさんの言葉。

「今も夜、寝室のドアを開けておくことがあるんだ。
チロちゃんが入ってくるはずないんだけどさ。
気持ちだね。」

偶然が呼び起こす奇跡のようなことなのかも
しれないとおもいつつ。
合掌。

       
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