その二八七

 

 





 







 














 























 

みちてゆく 冗談の数 雲のふくらみ

冷蔵庫の野菜室がすこし、ぽつぽつと
すきまを見せだして。
たっているセロリとまっしろなねぎや
こしかけているトマトやブロッコリ。

こういう眺めをうえからみていると
すーんと落ち着く。
みたされているときよりも、ずっと。
理由はよくわからないけれど。

ジャムの瓶も珈琲の瓶も残り少なくなって
きたときのほうが、なんとなく精神衛生上
やすらぐ。

どうして、みたされているときのほうが
ほっこりするでしょっていつも言われるたり
するのだけれど。

雑踏がとても苦手っていうのと関係あるのかも
しれないななんて思いながら、美術館の
70分待ちの列のうしろにならんでしまう。

からっぽになることへの憧れを国立新美術館で
ふと感じてる。
この建物がからっぽだったらと、夢想すると
その風通しのよすぎることへの、こころもとなさも
そのせつな、いっしょにつれられてきて。
でもこの心もとない感じも、たまには熱望してみたく
なる。たぶん、ひとひとひとしかみていない
この夏のせいで。

月の満ち欠け。かけてゆくやせてゆく月のひかりを
みているだけで、ずんとおもいがけなく
なにかが刺さる感じがするときがある。

あそびすぎたり、わらいすぎた夜なんてとくに。

ひたひたのものがかたちをかえて、もうすでに
そこにいなくなることにたいして、こころひかれる
わけは探れないまま、8月が始まった。

でもひとつだけ、なくしてしまうことが惜しい
瞬間があることを思いだす。
すきな絵本や本を読んでいる時。
終わりが近いページを読んでいると、
ページをめくるゆびの速度がまえにもまして
わざとゆるやかにしてみたくなることがある。

さいごのページなんて、できたら
きてほしくない本に出会うことは、稀だけど。
本をとじたら、たちまち目の前から消えてしまう
ひとや動物たち。
瞬間の空虚感から逃れたい一心が、指の速度を
緩めさせてしまうのかもしれない。

好きな本に関してはそういうことをいさぎよしとせず。
なんだなって。
どうでもいい問いだけが生まれる、ほんまにほんまに
暑い夏のページを、いちまいいちまいめくってる。

       
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