その二九〇

 

 







 







 















 























 

予報士が おしえてくれた まなこのかたち

四角いものとまるいもの。
部屋の中にもたくさんのかたちが
あふれているけれど。
まるいものにどうしてもひかれてしまう。

四角い物はとおいもの。
少しよそよそしいもの。

文字をもたなかった先史時代の世界遺産を紹介する
番組をみていて、そこで語られていた言葉にはっとした。

前方後円墳のようなドームのような建造物の外側に
突起したまるいものがこしらえられていたり、
うずまきのようなもようの壁をみつけた映像をみて。
まるいものは自然や動物の世界のもの
矩形、長方形などは、文明が発達してからにんげんが
つくりだしたものなんですねっていう意味のことを
おっしゃっていた。

文字伝達のなかった頃のひとびとは、たぶん
動物や自然たちと、こころもからだもほど近い距離で
くらしていたような気がしてくる。

角があるものとないもの。
それだけの違いなのに。
ほんとうに。自然のものたちはおしなべて
まるいものなのだと気づく。

文献や史料の残っていないような時代へのあこがれが
どことなくある。
残された場所や佇んでいるたてものの空間に
どこまでも想像する事がゆるされる、じゆうを
感じてしまう。

らせんのはじまりもおわりもひとつになって。
つながってゆくまるのえんかんうんどう。

ちっちゃな人とあるまじろがおおきく描かれていたり
てのひらのりんかくだけが吹き付けられた洞窟の中の
絵をみていてふと思う。

そこに暮らしていたひとたちはきっと、なにかを
敬ったり、畏怖をかんじたりしながら、どこかで
あすをしんじて生きていたんだと思う。

遺された絵やかたちを見ているだけでも、
すくなくとも、ぜつぼうのようなもの、
それに似たものとの距離は、ずいぶん遠い場所に
あったかもしれないな、なんて思ったりした。

ずっとずっと過去だというのに、どこかで未来を
みている気持ちがしてきて、こころが瞬間晴れて
ゆくのがわかる。

こうして文字でなにかを伝えようとするときの
もどかしさをたえず感じているせいなのか
文字をもたなかった時代のひとびとたちへ
思慕する思いが、こぼれそうになっていた。

       
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