その二九一

 

 






 







 















 























 

みみたぶの やわらかさ知る ふいのぬくもり

しなきゃいけないことを あっちこっちに
おいておいて。
十五夜も近かったので、お月見団子を
つくることにした。
しなければいけないことの 優先順位が
わからなくなると わたしはとりあえず
台所に立ってしまうくせがあるようで。

ボウルの中の純白の団子粉に水を
そろりそろりと注ぐ。
庭の花に水をやるときはこんなふうに
やさしくしてないかもって軽くふりかえったり
しながら。
さらさらだったものが こねていると
しっとりしてゆき ばらばらだったしろいものが
ひとつにねばってゆくのがわかる。
今年は母のリクエストもあって
抹茶をいれてみた。

かつて粉だったそれは もうもちもちしていて
ひとつのおおきなうぐいす色のかたまりになる。
しろいかたまりはいつも目にしていたけれど
こいみどりがしろとまざりあって よそゆきじゃない
顔になってゆく。
わたしにとってしろはいつだって ここから
よそへでてゆくときのよそおいなのだ。
それはお団子ひとつでもそういう感じがしてならない。

と、ここまでの過程だけを こよなく楽しんで
いるのであとの作業は 正直すこし飽きてくる。

ひたすら てのひらのうえでまるめていると
なんだか 遠い日のお月見のあたりのことが
浮かんでくる。

みんなで暮らしていた頃には母が
すすきを飾ったちいさな花瓶の側には
ちゃんとまあるいお団子がならんでいた。
ピラミッド型に並べるのはこどもの
しごとだったような記憶がある。

カレンダーをめくらなくても日記を
よみかえさなくても そんなささやかな
母のたたずまいによって 季節は巡って
いたんだなってあらためて感じる。

お湯の中でまるまったお団子が ふわっと
ゆらっとまっしぐらに浮いてくるときの
そわそわを感じていたら。

ほんの一瞬だけれど。
若い頃の母親といっしょにお月見団子をつくって
いたような錯覚におちいってしまった。
みみたぶぐらいのやわらかさがいちばん
おいしいんだからっていう 声も思い出しながら
美容院に出かけたにぎやかな 母の帰りを待っていた。

       
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