その三〇七

 

 






 





 


























 























 

あのころが しずかしずかに 燃えてゆくから

こどもにとって首が痛くなるほど見上げなければ
いけないことはそうとう、こわいものらしく。

みてはいけないものを見てしまったような、
どこかにある眼差しを探しては、見つめ返されない
ことを胸の奥で祈ったり。

膝の上には大きな画板があって、黄色いバケツの
中に筆が挿してある。まだその中の水は澄んでいる。
緑の芝生の上にはパレットが、無造作に放り
投げられていたような。

画用紙の上は真っ白で、何も描かれていない。
ただただわたしはとりつかれたように、
空をみあげる。
空は見上げるのだけれど、その中間点にある
おそろしいほどの巨大なそびえ立つひととは
目をあわさないように注意しながら。

生誕100年を迎える今年、岡本太郎の名前を
よくみかける。
ほんとうは避けて通りたかったはずなのに
じぶんにとっての太郎さん体験のいちばんはじめは
ってぼんやり思い出していたら、強烈に太陽の塔の
あの顔が浮かんで来た。

図画工作の課外授業として、みんなで太陽の塔を
描きましょうという、テーマがみんなに与えられていた。
白い絵の具のチューブをへこませたまま、
おそるおそるあのひとと目をあわす。

なにになのかはわからないけれど、圧倒的なからだの
大きさとあまりに強い視線を感じて、へなへなに
なってしまう。
目の中の瞳もなくて、ただそこには輪郭があるだけなのに。
小学生ぐらいのこどもにとってそれは、おしゃべりのもとを
手のひらでさえぎられたかのように、沈黙をしいられる
作業だった。

写生が苦手だったわたしは、逃れられるものなら
のがれてみたかったのかもしれない。
太陽の塔と対峙していると、相手はことばを発したり
あの白いからだと赤い血潮のほとばしりのうねりが
吹き出して来る訳でもないのに、いつかいつかその場から
動き出して来るような、ことのなにかが起こる前触れの
エネルギーの高まりを感じてすくんでしまった。

たぶん、その頃夢中になって唯一読んでいた
「だれも知らない小さな国」のコロボックルの
住処にまぎれこんだような、ふしぎでこわいきもちで
まわりがつつまれてしまった体験はあとにもさきにも
あれいっかいきりだったけれど。

親に叱られるのがこわいとか、杉本君のやんちゃぶりが
こわいとか。そういう単純なものじゃなくて
もっともっとちがう世界のこわいがこのよのなかには
あるんだなと。家に帰り着いてからも、目の裏に焼き付いて
いたような気がする。

その後、すこしずつ自分の中に語彙がふえていって
あの時のこわいって感覚はもしかしたら、たぶん畏怖に
ちかかったのかもしれないと思い当たった。
でもあのときの感覚のうえにそっとそのことばのピースを
あてはめてみても、ちょっとどこかしら窮屈な感じが
否めない。

太陽の塔体験からかなり時間が経ってから、岡本太郎が
綴っていたことばと出会った。
「調和」とはぶつかりあうこと。
ぶつかることが、コミュニケーション。
そんな意味合いの文章だったと思う。

岡本太郎はいつもわたしをその場に居心地悪くする。
所在なげな視線だけを植え付けていって知らぬ間に死んでいた。
あの塔だけじゃなくてそのことばに出会った時、もうすでに
いろんな感情にあてはめられることばは知っていたつもり
だったのに、またあたらしいもやに包まれてしまった。

そんなもやは、今もどこかで続いているのに、思い出の
万博記念公園のあの塔の輪郭や色彩はいまもあざやかなまま、
じぶんのなかに違う生き物をかっているかのように
息づいている。

       
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