その三一五

 

 





 







 






 

























 























 

おぶらーと くるんでくるんで だれかのこころ

6月の終わり頃。
梅雨の晴れ間を縫うようにして
Mさんからメールを頂いた。

Mさんはわたしが第一歌集を上梓するときに
とてもお世話になった方。


極楽寺で今、谷川俊太郎の庭 展を企画していて
そこで詩のイベントをするんですよという
お知らせだった。

極楽寺、久しぶりにいってみたいなって思って
江ノ電に乗る。

森と潮の匂いが入り混ざったようなちいさな駅に
降り立つと、坂を上る。
坂の上にMさんのアロハの広い背中がみえた。
三年ぶりの再会だったけれど、ふしぎときのうまで
会っていたような親しさで、挨拶を交わす。
坂をのぼって左手に折れるとしばらくして
<ギャラリー緑青>があった。

切り株のような椅子。
石畳が部屋の中にまぎれこんだような床。
天井には、おおきなくろい梁。
築60年の古民家を、アレンジして
ギャラリー&カフェの形にしたすてきな空間だった。

谷川俊太郎さんが一年間、定点カメラでご自宅のお庭を
撮影されたフィルムが、スクリーンにゆっくりと
映し出されてゆく。

大きな緑の樹木が、春を、夏の手前を、夏を駆け抜けて
秋になり、やがて冬を迎える様子が
谷川さんの詩の声と共に、目や耳にやさしく
問いかけてくる。

おだやかなようで、ここに在る庭は、確実に
時とともに変化を遂げていることが
くりかえしくりかえし、告げられている映像。

ここにあるのはほんとうは過去の庭なはずなのに
もういまと同じ姿は庭の木の中のどこにもないのに。
どこをとっても未来のようにも現在にもみえてくる
ふしぎを思っていた。

しぜんとひとのいとなみが、どこかで
あしなみをそろえる瞬間が写真の中にうつりこんで
いるようで。

そして、久しぶりに会うMさんのお元気そうな
横顔をみて、年月がどこに進んでいるのか
わからなくなって、うれしい戸惑いを覚える。
わからないけれど、くらいくらい闇から
からだごとぬけだしたんだなって、不思議の国のアリスの
ような姿をMさんに重ねてみる。

あと、面白いなって思ったのは詩専用の電光掲示板が
展示されていたこと。
スノーフレークのように言葉が上から降って来て下へ
下へとおちてゆく。
みえなくてもことばはこんなふうに人や地面に
ふりつもるものなのかもしれないなって思う。

obla( )t というグループの同人をされているMさん。
ただいまって、声かけたくなる空間に夜遅くまで
入り浸って、いろんなふしぎな人達と出会って
会話の凪がふと訪れたとき。

オブラートっていう、とけてなくなりそうなものって
いうはかなくてやわらかいネーミングとは
うらはらな隠された、思いを改めて知る。
詩やことばが本の中だけで、ひっそりと存在するんじゃ
なくて、どんどんかっこの外へ、外へとはみだして
ゆこうとしていることが、その空間の中で
息づいているのがわかった。

わたしは、obla( )t の目撃者になれることに
うれしくなりながら、夜の極楽寺駅までの坂道を
ふたりで走っていた。

       
TOP