その三一八

 

 




 






 































 























 

八月の らせんを少し 秋に傾げて

雨があんまりひどすぎて、電車も止まってしまって
訪れることを断念してしまって。
その日の夜は、なんだかとてもたいせつななにかを
失ってしまったみたいだった。

くつが水の中をたとえ泳いだとしても
スカートの裾がしぼれる程になったとしても
腕が指がバングルがどうしようもなく
雨と親しみ過ぎたとしても。

やっぱりでかけてゆくべきだったんじゃ
なかったかと、とても悔やんでしまう。
誰かと逢うことが、むかしよりもずいぶんと
大事なことのように思えてくる。
たぶん3.11のせいなのだろうけれど。

約束した日から予定はささやかな日々に
育まれているのだから、身体のやむを得ない
不都合をのぞいては、動く限りは、
遂行しなければいけないような気が
ひしひしとする。

雨に負けてしまったことは、どこか罪悪感
みたいなものめいていて、その日を引きずって
しまった。

マンホールが圧力に負けてしまったみたいに
雨の中で跳ね返る、画面が今はしとしとと
降っているらしい東京の映像に切り替わる。

八月がやるせない雨でおわってゆく。
前日。訪れていた恵比寿あたりにつく迄
はじめて湾岸線から東京の街を俯瞰した。

ぐるぐるとうずまくような高速道路を
走っていると、身体がいつのまにこんなに高度な
場所へとつれてこられたんだろうと、時間が後戻りするような
へんな感覚。
そして、どこがはじまりでどこが
出口なのかわからなくなるような錯覚に陥った。

思えば11年程前には大阪の北の方にいて
今は、神奈川の東のほうにいる。
生まれ落ちたのは鹿児島だから、あの高速みたいな
らせんをじぶんも描いているのかもしれないなって
そっとそのうずまきを重ねて見る。

あの日会えなかったmさんが、ある朝メールを
送ってきてくれた。
<ちょっと中国に行ってまいります>
いいな旅行なんだなって思っていたら、無謀にも留学ですと
教えてくれた。

そういうことなのだ。
ひとはみんなひととして、いろんなちがう人や場所やことばと
かかわりながら、建造物なんかでは描ききれないぐらいの
らせんを描いているのかもしれない。

       
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