その三二八

 

 




 







 



























 

ころがる重さ あれはたぶん たましいのような

雪の結晶のもようとサンタらしきひとが
描かれているちいさなケーキが入っていた
赤いコップが二階の出窓にふたつ並んでる。

ヒアシンスの球根。
去年はそういえば、偶然にも3月11日あたりに
彼らが芽吹いているのを発見した。

いちばんふあんなときにふいにみつけた黄色い花は、
ことばはないけれど、すっとこころの中のどこかに
ふれたような明るさで、そこに存在していた。

球根は球根でしかなくて、肩入れしたくなる感じは
あまりなかったけれど。
去年のあのあたりから、球根ひとつとってもなんだか
すこし思い入れがちがっているじぶんに気づく。

てのひらに隠れてしまいそうなあの塊のなかのなかには
養分もみらいの姿もすべてあの根っこの奥深くに潜ませながら、
現在の中にちゃんと未来も内包していることに、すこしばかり
いまとなってはおろおろしてしまう。

すべてをしっているようなふたつ並んだそのたたずまい。

コップの中に埋もれてしまいそうだったので、マーブル模様の
ビー玉をそこに浮かせて、根っこに水がふれそうでふれない
感じの水の高さを保たせた。
根っこがぶんぶん伸びてゆく。
たくましいだれかのあご髭のように。

いま、かたく閉じていた緑の葉のてっぺんが、ゆるんでいる。
よりそっていたものが、しぜんにほどかれゆく。
バリのダンサー達のゆびのかたちのようにほころびながら。

毎朝起きると、そこには変化があって。
地道に、未来へと近づいている事がありありとわかる。
水に光に呼応しているその姿に、すくわれる。

いつかみた児童文学者のC.S.ルイスが愛妻との出会いと
あまりにも短い蜜月と別れが描かれた映画のなかに
出て来た台詞を、そっとそこに重ねる。

<いまの悲しみは、あの時の幸せの一部>

なんともない言葉だと思っていたのに、しずかに
だれかを思う気持ちがひしひしと胸に刺さってくる。
かなしみがぽつんとやってきたときにかぎって
幸せだったときを思い出すものなだって思うと、
ほんとうはしあわせのなかに、みえないけれどかなしみが
ちょっとだけ土の中の雨水のように、ふくまれていた
ものだったことに、はっとする。

どの季節もじっととじこめているような、ヒアシンスが
教えてくれるひとひらの春を、待ちながら。

       
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