その三四六

 

 

 




 





 






















 

昼の月 たあいもなく 空になじんで

キッチンの窓辺に置いたティーカップの中で、
豆苗の根が伸びてゆく。
食器を洗う手を止めて夜ふとみると、
今朝までなかったはずのはーとの形に似た
ちいさな葉がついていた。
エンドウの若い芽のせいか、伸び始めたら
面白いぐらいすくすくと成長する。

つる性の植物になんとなく惹かれる。
小さい頃読んだ「ジャックと豆の木」の
民話のせいなのか。
無限に空に伸びてゆく茎。大木になった豆の木に
のぼりながら、不思議の国へゆくときの挿絵が
頭の角に残ってる。
枝や葉がみずから感情をもっているみたいに辺りを
縫うように果てしなく伸びてゆく。

少し陽の光が弱い気がして、キッチンから出窓に
引っ越しをしてみた。
雨が強く降っていた日、出窓のカーテンを
いちども開けない日があった。
あんまり彼らがのびのびしているものだから、
その日は忘れていて、ほったらかしにしていた。

翌日、カーテンを開けると、なんだか彼らは
楽しそうに巻きひげを、妙な表現だけれど融通無碍に
伸ばしていた。
重なり合う物は重なり合いながら、ほんのすれすれで
湾曲にその姿をくゆらせながら。
右にいきたいものと、左にいきたいものが同時に
空に近い場所でひとつになって。

絵を鑑賞したときとも、映画に見入った時とも
本を読んでことばのあしらい方にはーんと感心した時
とも全然違う、心地良さそうな光景がそこにあった。

バラ園のツル薔薇のあでやかさも匂いも、
藤棚のあの紫色の張り巡らされた妖艶さも
どこにもないけれど。
豆苗が描いているらせんの、いちどっきりの形。

ただ話をしているだけなのに、相槌の打ち方が即妙で
ゆるやかな気持ちにさせてくれる人が時折いるけれど、
出窓の彼らが人だったとしたら
そんな感じに似てるかもしれない。

蔓植物のなかの巻きつき茎には、左巻きと右巻きが
あるらしい。夜の食卓の一品になってしまった豆苗が
どっち巻きだったかをうっかり見忘れてしまった。

<植物たちは、昨日と何一つ変わっていないようで
日々同じじゃないのですよ。
目を見張るような変化に満ちています>。
そんな話をいつか聞いた事がある。
どこにいても、だれといても、日々すこしずつ
ひらいていくほうこうにあることは、すがすがしくて
よいなって、とうみょうにだいじなことを
まなんだような一週間だった。


       
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