その三四八

 

 

 




 




 























 

すれ違う つみとがうれい 眠りに落ちて

小さい頃から夜がすきだった。
怒られたり泣かされたり、うまく言葉に
できなかったことも、その時間がやってくると
ぜんぶ、闇のなかに包んでどこか遠くへと
持ち去ってくれているよう気がした。

いつか、降るような星を家族みんなで宮崎で
みたときは夜空があまりに近くて、落ちてきそうな
星々のひとつひとつが、すべてじぶんの悪のぶぶんを
吸い込んだ形にみえてきて、所在なげな気持ちに
駆られてすこしばかり不安になったこともあった。
それでもずっとそこから離れたくなかった記憶が
甦る。

年を重ねると星空を見た時の気持ちはすっかり
忘れてしまったけれど。その代わりに、どうしてか、
眠れない人が書いた文章が好きで、ついつい
目で追ってしまう。

<星の下に、/横になった。/どすぐろい不眠が/
恍惚たる快楽に変る、/そんな夜だ。/石がまくら。>

須賀敦子さんが訳したウンベルト・サバの「眠れない夏の夜」。
この詩が紹介されていた雑誌をよんでいた昔、
思わず気になって切り抜きをしていたものが、この間
ふいに出て来た。

石がまくら。ってところに異国の匂いが漂っていて
読み進めると、それは羊飼いが野宿の時につかう
ほんものの石のことらしく。
映画のたったひとつの印象的なシーンを見ている時
のように錯覚してしまう。

<夜熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。/
彼らは何をするのか。夜を現存させているのだ>

同じ須賀さんの訳で、アントニオ・タブッキの
「インド夜想曲」の中のモリス・ブランショの
題辞の一節。

エッセイの中でその作家は「この世に夜があるのは、
眠らないおまえのせいだ」と云われていると思うと
ぞくぞくすると綴っていて、十年以上経った今もこの件を
読んだ時にまったく同じ感想をわたしも抱いていた。
好きな世界は揺るぎない。

<すぐそばに、犬がいっぴき。/じっとして、さっきから、/
遠い一点を、見ている。/(略)/彼のからだを、すっと、
とおりぬけて/いきそうな、永遠の/沈黙が。>

サバの詩を読んでいるといつのまにか犬の視点がじぶんの
それとひとつになって、海の向こうを眺めているような
気持ちになってくる。どこにも海はないのに波の音が
耳のなかで幻聴のように聞こえて来て、やがて凪が
犬のからだすべてに訪れる時を待ちこがれてしまう。
そのせつな、すべての生き物達が眠りに落ちてゆくような
そんないざないを憶える詩だなと思う。


       
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