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ど
こ
ま
で
も
貫
か
れ
て
ゆ
く
あ
の
道
の
果
て
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横切った いにしえの思い くろすする空
ふいにああ、あのことの向こう側にはああいううらづけがあったから、あのかたちに落ち着いたんだなって、時間が経ってから気がつくことが、よくある。
そのことを裏返せば、りあるたいむで、ちゃんと理解していないことのあらわれなのだけれど、いつもそんなふうにものの感じ方に時差があって。
ちいさなころから、頭のなかはいつも周回遅れをつねとしているようで、その癖はなかなか抜けてくれない。
去年のクリスマス近く、有楽町の国際フォーラムの地下にある美術館に訪れた。
西斎さんの版画展を、拝見した。
富士山が世界文化遺産に登録された記念の<新・富嶽三十六景>と題された彼の展覧会はこれで二度目になる。
以前、ちがう場所で同じ作品をじっと眺めていたとき、
立ち去りがたかった作品が、その日、その役割を違う作品が果たしていた時、とても不思議な体験だなって思った。
同じ作品なのに、すこし時間が経ったからだで対峙して
いると、目の前にあざやかに立体的にとびこんでくる作品があることも発見だった。
はじめてこころを奪われたのは秋に訪れたときに拝見した<まつ>という横長の視覚を刺激される世界を持った作品だった。
「松」と「待つ」が掛詞になったタイトルの意味にいざなわれる。
金や銀やブルーなどメタリックに表現されているのに、そこには静謐なたたずまいでならぶ五本の松に、釘付けになった。
再びギャラリーを訪れた冬のその日、ある種対極にある
螺鈿の美しい「琵琶富士」という作品のそばから離れたくないような、気持ちに駆られた。
作品群の中には意外な物が富士に見立てられている趣向で、それはマグロだったりコカコーラだったり、あるいは薬瓶だったりする。
現代の人々が抱えているあかるい病のようなそのむこうがわの意味を探っているとき、一枚の版画と対話している面白さがある。
それからしばらくして、新聞を読んでいたら<1964年のオリンピックは、1940年に幻に終わった東京オリンピックの再構築だった>という記事に出会った。
1942年に<大東亜建設記念造営計画>というコンペがあったらしく、その頃の時計の針をうしろに早回ししてゆくと、かつての計画は東名高速と新幹線の地図にぴったりと重なるという見解が述べられていた。
なんとなく読み始めた記事を、夢中に読み進めてゆくうちに、なにか腑に落ちたようにあぁ! と浮かんできたのは、去年の12月に目にしていた西斎さんの<富士ハイウェー>という作品だった。
赤富士を貫くように高速道路がその料金所とともに表現
されていて、はじめてその絵と出会った時はぼんやりとしていたイメージの輪郭が、知り得なかった歴史にふれたとき、やがて彼の作品にピンポイントでつながった瞬間を味わっていた。
一枚の絵や作品と出会うということは、ほんとうはこういう一瞬のことを云うのかもしれないなって、思った。
だいすきな西斎さんの「新・富嶽三十六景」のなかには、たくさんの問いが贈り物のように孕んでいて、そのこたえは、わたしたち見るものの、なにげない暮らしのなかに潜んでいる。
投げかけられた問いは、ゆるやかにらせんをえがきながらわたしのこころのなかにすとんと、いまおちてゆくのが
わかった。 |