その三九三

 

 

 






 






 





























 

ふらくたる 越えても越えても ふらくたるって

 かたちに触れる。色を眺める。色と形がひとつになって、眼の中に飛び込んでくる。
 その、かすかな衝撃の強さに惹かれて、白い陶器のお皿に載った、明るい緑色のそれは、いちばんさいごに食べることにした。

 あざやかすぎるほどの緑は茹でても、変わらないのかよくわからないけれど、ロマネスコというブロッコリーが、かわいらしくて、ゆっくりと味わってみる。

 やさいの形に、見とれることはほとんどないから、味がどうだったかってことしか気にならなかったけれど、そのロマネスコという名のブロッコリーに出会ったときは、このささやかな存在感ってなんだろうと、瞬間的に思った。

 いつも知っているブロッコリーのすこし青くさい味ではなくて、とても淡白だったことも、印象的だった。
 かたちで驚かすのに、味はとってもフラット。
 そんななんにも主張していないかに見えるところに惹かれる。
 でも味わったあと、味以外のなにかが、いつまでも尾を引いていた。

 よくみると、そのひとつひとつはすべて相似形をしているらしい。
 算数が嫌いだったわたしも、この相似形は、小さい頃なんとなく面白いなって思った記憶がある。
 おとなになってもそういう、構造のものが好きなのかもしれない。

 どんなに微妙な部分を取っても、全体に相似しているフラクタルという構成は、自然に生きているものならではの力のような気もする。

 じぶんが惹きつけられた理由が、そんなところにあったのかどうかはわからないけれど、自然に存在するその形や色のふしぎさにわけもなく、眼をうばわれることは人が人になるかどうかぐらいの太古の記憶が、どこからか呼び覚まされているような、遠い気持ちに包まれている感じがして、どきどきと穏やかさが同時に風に運ばれているようだ。

 フラクタル好きだったことに気づいて、そのことをもうちょっと調べていたらいわゆるリアス式の海岸線や雲なども近似的フラクタルという構造らしい。
 わかったようなわからないような、でもわかったような
気がする。
<きんじてきふらくたる>という名称も、しかめっ面なのに、リラックスしているような感じが、気に入った。

 じっとなんどもなんども繰り返した果てに成り立つその道の途中。その道の先にもおなじような、DNAを持った輪郭が、限りなく現れて来る。
 はてしなく、操作を繰り返しているのに、型や形がよく似てしまう、フラクタルという在り方のなかにいまなにかをみつけたような気がするけれど。
 まだそれはことばにならないことばのようでもどかしい。
 さっきから浮かんでは消えるのは、やっぱりあの白いお皿にぽつねんと残されたロマネスコの姿だった

       
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