その三九六

 

 

 






 







 


































 

遠い人 きりんのからだの めいろのなかに

 日傘のなかに、もうひとつのちがう大気が対流しているんじゃないかというぐらい、まぎれもない夏の日。
 新宿の伊勢丹デパートまで足を運んだ。

 三度目になる西斎さんの個展を拝見した。
 ひとつのブースに掛けられた「新・富嶽三十六景」の版画シリーズ。

 いつも訪れるたびに気に入る作品が、かたまらなくて、
すこしずつ違っているのが、じぶんでも不思議だけれど、
今回もそうだった。

 フロアを歩いていると、なんとなくそのちいさな眼に引き寄せられる。エメラルドの光に似た瞳をもったキリンが
こっちをみているようなみていないような眼差しで、すっくと立っていた。
「キリン富士」と題されているように、そこには一頭の愛らしいキリンが描かれていた。でもその表情を視ていると
一頭というよりは<ひとり>という感じが似合っている。

 ジラフのからだをよくみていると、そのモザイクを並べたような模様の中に富士山のシルエットが隠れている。
 ゆっくりと、キャプションを読む。
 それはキリマンジャロのキリンらしく、からだのなかに
キリマンジャロの山も、描かれているのがわかった。

 そして、作品とキャプションを行ったり来たりしながら
この離れがたさはなんだろうと思っている時、そこに
書かれてあったのは、<1952年に鹿児島の平川動物園に
やってきたキリンは富士子という名前でした>と記されて
いた。ユーモアのある作品だなって思いながらも、ふと
その平川動物園という箇所で、からだがびくっとなった。

 幼い頃に祖父の暮らしていた鹿児島にしょっちゅう帰っていたわたしは、母やおばさんたちと、平川動物に遊びに行っていたことを、母から聞かされていたことを思い出したからだった。
 さすがに1952年の富士子さんとはまだわたしが生まれる前なのであったことはなかったけれど、とにかく見えない細い糸がその「キリン富士」の富士ちゃんをとおして、HOW ARE YOUとたずねているような感じがした。

 キリマンジャロのキリンのからだに富士が描かれてそれを日本の東京の真ん中で視ながら、日本とキリンのつながりのはじまりが鹿児島にあったことが、ちょっとしずかにどきっとしながら、いつまでもそこにいた。

 アイルランド人の西斎さんに、ほんとうに拙い英語でここで生まれましたと告げた時に、とてもあたたかく受け止めてくれたことがうれしくて、あらためてじぶんが生まれ落ちた場所のことなどを思い出していた。

 
大好きだった祖父もなんだかその「キリン富士」の富士ちゃんのからだのどこかに潜んでいてみえない輪郭のむこうで It's been a long time.
って挨拶しているようなそんな気がしていた。
 おじいちゃん HOW AREYOU .THERE YOU ARE!
なつかしくって、そんな気分。

       
TOP