その三九七

 

 

 






 







 




































 

吹く風が すきとおる羽根 おどらせながら

 どういう気持ちなんだろう。
 よくわかっている気持ちなのに、その気持ちが訪れるのがあんまりひさしぶりすぎるのでまったくあたらしい種類の気持ちのような気がすることがあって。

 きょうがまさにそんな感じに近い。
 だれかの夢のなかにそっと入り込んで、みんなもっとちがう夢をみていると思ったのに、それはまったくわたしの
視ていたものが、指をすこしのばせば届いてしまうような、ちかさにある。
 みんなちがうゆめをみていると思い過ぎているんじゃないかと、それがまるで錯覚を起こしているかのように感じられるような。

 フ夕方近く、たくさんの陽射しを浴びたからだのままで、寺門孝之さんの新作絵画展"光とCLOUD"展に訪れた。
 どこかしらないくにの空の上で、天使たちがしずかにそこにいる。
 青い空のどこか。ゆめのように天使たちが描かれている
いくつかの作品を前にしていると、そこに天使がいることがとても日常の当たり前の風景にみえてきて、ゆらっとする。
 ここっていう場所が、ここなのにここじゃないような。

 みえなかったものが、いや、見える人にしか見えなかったかもしれない天使が、このフロアに一堂にあつまっている彼女たちが放つ、空気。
 そのことをどうにか言葉にしようと、そこに薄物の形容詞をかさねようとするけれど、さっきからうまくいかない。
 でもなんどその行為を繰り返しても辿りついてしまうのはよくしっている気がすることば、<やさしいきもち>だった。

 いつもじゃなくて、いまだけはそこにいる。
 そんなたまもののようなこぼれてゆきそうな時間を寺門さんだけがキャッチできる、スイッチを持っているみたい。
 そんな天使たちのことを、むかしからわたしは知っているような気がしてきて、なにかわからないけれど心地いいふわふわした輪郭のものが、からだのなかを巡ってゆく。

 しあわせなきもちになって絵をみた帰り、ふとさっきみかけた雲の合間に見えていたゆめのようなかたちと、同じ時間は、もういまはどこにも存在しないことを、夢想した。
 好きな作品に出会うと、なんだかそれはすべて幻だった
ような、蜃気楼めいたさびしい気持ちになる。
 こういう感覚は、ほんとうにひさしぶりだった。

 
知らない人とすれ違う雑踏のなか。
 つかのま、たまゆらのかすかな音に似た、だれかが縁日でみつけた風鈴ノ音が、きりりとちいさく鳴った。

       
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